凶器を楽器に持ち替えよう運動 連載01回目

私がギターを買ってもらって音楽をはじめてもうすぐ30年が経ちます。
小学校6年生の秋に同級生にビートルズを教えてもらい、ひたすら聴きまくっていた小学校6年生。
レンタルビデオ屋さんでビデオも借りて動いてるビートルズを見て聴きました。
あのドキドキ感は今でも鮮明に覚えています。

そして楽器屋さんのギターの前で動かなかった僕に両親が見かねて買ってくれたエレキギター
持った瞬間に無敵になれた気がしました。
これでジョンにもポールにもジョージにもなれる!!
BAND組んでビートルズみたいになるんだ!!
と同級生を勧誘しまくってBANDを組みました。

気分はもちろんジョンレノン。
ビートルズと言えば僕の中では圧倒的にジョンレノンに惹かれていました。
解散してからのソロアルバムも中学校1年生の時に全部聴きました。

ビートルズになりたくてもまずはオリジナル曲を作らないと話になりません。

中学校を卒業して高校受験の時に中学の時に組んでたBANDのドラマーと約束して一緒の高校に入って新しいベースとボーカルを見つけようと約束をして同じ高校を受験しました。

二人とも第一志望の学校を滑り…
滑り止めの高校に合格して高校生活が始まったのです。

…高校生活は何というか、
ヤンキー文化の終末期みたいな時代でしたので、
学校に行くとビーバップハイスクールで観たような長ランにボンタン。
髪はリーゼントかアイパーの先輩や同級生の多いこと…

当時はフェミニンブームでソフトパンクというものが流行り出してきていました。
武田真治さんと、いしだ壱成さんがモデルで出てる雑誌は高校の友人と回し読みをしていました。
高校は山の中なのですが地元の子はほとんどおらず都会から滑り止めで入ったヤンキーが多い中でも、
都会の子はいち早くフェミニンブームに乗っかって、
標準ズボンの先を切りボンタンとは逆に
ラッパズボンに仕立て上げ、
髪型はマッシュルームカットみたいな感じの子が多くなってきました。

ドラムの子も見事に音楽よりもファッションにはまってしまい、
いつの日かもう喋らなくもなっていました。

私は高校でBANDを組んで色々なコンテストに出てとにかく音楽業界のコネを少しでも早く作りたいと計画していましたが見事に計画は失敗。
高校に居る意味は無い!!
少しでも多くギターの練習をして曲を作って飯の種にするんだ!!
と勢いで高校を辞め親の仕事を手伝いながらギターの練習に明け暮れていました。

中学校2年生の時に転校をしていたので高校に一緒に行った友達は転校する前の学校の友達でした。
高校にもいかず親の仕事の手伝いをしてお小遣いをもらい全てを音楽の機材に使い親を呆れさせていました。
(今もほぼ変わりませんが(;'∀'))
高校に通っていた同級生とは規模の違う機材を揃えていました。

高校を辞める時には転校する前の友達のほとんどが暴走族に入り人殺し以外のほとんどの悪さをしてる状況だったので、
早くこれは縁を切らねば巻き込まれてしまうと瞬時に察知したので高校を辞めたと同時に連絡も断ちました。

そして家の近くに楽器屋さんがある事を知って入り浸っていました。
その楽器屋さんには高校を卒業したばかりの3コ上のお兄さんが、
ライトミュージック担当として就職しており今聴いてるBANDやお互いに学んだテクニックを披露しあうなどとても良好な関係を築いていました。
楽器屋のお兄さんもギターリストでしたが、既にライブハウスにも出演しながら僕と同じく音楽業界にコネを作ろうと頑張っていました。

<ギターを買って貰ってからの話>
ビートルズが好きだけど初めて買ったCDはヴァンヘイレンのファーストCDという事をお兄さん伝えると、はかせは変態的な感性を持った子供だと言われました。
ヴァンヘイレンのCDを買ったきっかけはギターの教則本にこれだけは聴いておいたほうが良いというBANDのCDを5枚ほど乗せていて、
転校する前に住んでいた所にあった楽器屋さんで、
たまたまジャケットの絵を覚えていたのと、BANDスコア(楽譜)も売っていたので買ったという偶然の産物だったわけですが、
ヴァンヘイレンといえばライトハンド奏法というギターを弾かずにタッピングとプリングオフとトリルという奏法を合わせてキーボードのようにゴキゲンなサウンドを出してくれる技を開発した偉大なギタリストなのです。中学生の頃にはヴァンヘイレンのファーストアルバムの全曲を弾けてしまっていたので、
同級生を超え先輩にまでギターの上手い奴がいるという話が伝わっていました。

中学2年生で転校してからは学校に行く気力を無くして家で暇だったので、
ヴァンヘイレンのCDを聴きまくりスコアを見ながら少しずつ練習していって、いつの間にか全曲弾けるようになっていました。

転校した学校ではB'zやXが流行っており話していても面白くなかったので余計に学校には行きませんでした。

もうすでに僕の読んでいる雑誌にオルタナティブミュージックの情報が入ってきており、ニルバーナやパールジャムといった最先端の洋楽を聴いていたので日本の音楽シーンには興味は全くありませんでした。

その頃からでしょうか今までテクニックを重視していたギター生活に別れを告げてどれだけ
<その瞬間に感情を表現する音を出せるか>
を基準にした練習というよりも自分とギターと精神の中で戦うという表現が最も合っているギターの練習スタイルに変わっていきました。

ギターと対話するという言い方の方が近いかもしれません。
その頃からジミヘンドリックスやエリッククラプトンの組んでいた、
クリームというBANDを聴いてサイケデリックという言葉を使った音の表現方法を知りひたすら聴きまくりました。

ヴァンヘイレンも言っている事なのですが、
一流の楽器奏者はあらゆるジャンルの音楽の一流のリスナーでもある。

後で知った事なのですが正にこの言葉をそのまま生活に当てはめ、
音楽を聴きながらまだ譜面が発売されていないBANDの新譜と曲を聴いて耳で音を覚えてギターの指盤上で探していく、<耳コピ>という技術を覚えました。

そして中学生の頃に読んでいた雑誌<バンドやろうぜ!!>と
<Player>という雑誌からギターリストやバンドマンの思考をインタビュー記事を読んで知り、生き方をマネする。
今の流行りの言葉でいう<アウトプット>をしていました。

そして中学3年生の冬に人生初LIVEを行いました。
ティーンズミュージックフェスティバルというYAMAHAさん主催の10代だけのミュージックコンテストに初参加しました。

曲はベンチャーズBAKUというバンドの、
インディーズ時代の曲を演奏しました。
マヂで全然緊張していて覚えていないのですが感覚だけは覚えています。

<ここが僕の居るべき場所だ>
という感覚です。

まだメンバー全員中学3年生なので高校生や大学生のバンドを観て更に絶対ビッグになってやる!!と心に決めて家に帰ったのを覚えています。

話が高校生と中学生で前後して申し訳ありません…

そして高校生になりバンド活動を頑張ろうとした矢先に起こったのが上記に書いてある事なのです。

…が、

高校を辞めて友達が夏休みの頃に1本の電話が入ります。

「はかせ助けて…」
転校する前の友達で暴走族に入って僕らを勧誘してきた友達からでした。
「シ〇ナー吸ってるのが親にバレて警察と精神病院に連れていかれる…
 今からそっちに行くから匿ってほしい。」

呂律も回らない声で助けを求めてきました。
とは言っても転校してきた所はまぁまぁ遠い場所でしたので、
電車の乗り継ぎ方法と大体の電車賃を教えて到着の連絡が来るのを待ちました。
そして2時間後家の電話が鳴り友達が駅に着いたとの事で原チャリに乗って迎えに行きました。

もうシ〇ナーのにおいが凄くて、来ている服も夏だから良かったようなものの、ほとんど着の身着のまま。
めちゃくちゃ混乱していたのでジュースを一緒に買って飲みながら我が家に向かいました。
家についてまず状況を詳しく聞きました。

本人曰く
・暴走族を抜けようとしているのだがシ〇ナーを買い続けろと言われた。
・暴走族を抜ける時はお金を払わないといけない。
・このまま帰ると親に警察に連れて行くと言われ精神病院に入院させると
 言われて怖くてはかせに連絡してしばらく隠れさせてもらおうとした。

以上の内容でした。
その友達は中学3年生の時に一緒にバンドコンテストに出た事もあったので何気なく、

「暴走族は何があっても辞めな。落ち着いたらバンドやろう。
 ビートルみたいなバンド」

僕に言えるのはそれしかありませんでした。
ただやりたくもない暴走族に入って無駄な高校生活を送るよりは、
一緒にバンドやれたらやってスターになろうよ!!
って感じだった。

友達の家に電話をして今我が家に居る事と、
「疲れちゃって昼寝してるのであと1時間ぐらいしたら電車に乗せるので、
 到着時間頃に駅に迎えに来てくれませんか?それとバンド僕たち組むので
 早い所、暴走族を辞めさせてやってください。」

友達の母親は涙声で
「死んでやるって出て行ったから、心配で心配で…」
とオロオロするばかりでした。

友達も起きてきたので
「親に連絡しといたから。警察にも病院にも行かないって。
 ただ暴走族を辞めるのには全力で協力してくださいって約束もしたから」

友達は不安そうに
「ホントにバンド組もうね。名前も決めよう。」

というので、
ビートルズの出身地のあの有名な港町をバンド名にしようと決めて駅まで送りました。

名残惜しそうにお互い改札の前で私は
「良い報告待ってるね!!」
と言って電車を見送りました。

その数か月後、僕は自分のした約束を忘れて軟派な友達とXjapanのコピーバンドをやっていました。
だってスタジオに毎回違う女の子が観に来るらしくて一発でバンドに入れてもらいましたwww
だってモテたいっていうのがバンドをやる最大のモチベーションでしたから。

…という訳で <凶器を楽器に持ち替えよう運動>
この話かなり長くなりそうなので連載型にします!!

次回をお楽しみに!!
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なぜ僕は弾き語りをするのか

去年から始めた弾き語りについて書こうと思います。始めたきっかけは<自分の殻を破りたい>という思いからでした。この気持ちは10代からバンド活動を始めてバンドを組んだ時のリーダーの言葉です。


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このバンドに入りたいと思ったきかっけはとにかくボーカルのN氏がずば抜けて歌が上手い。
楽曲の完成度が高いという事がきっかけになりました。

近くのLIVEハウスでLIVEをやるので観に来て!!
と言われチケット購入してLIVEを観に行きました。

そのLIVEでギターが抜けるというMCがあり、
「チャンスだ!!」
と思った僕はLIVEが終わるなり直ぐに行きつけの楽器屋さんに行き、
N氏の連絡先を知っているであろう人達に連絡先を聞きまくりました。

要約電話番号をゲットして自分の思いを伝えるべく留守電に、
「以前から弾き語りやソロ活動を知っている時から一緒にバンドをしたいと思っていました。ギターリストが抜けるという事なので是非バンドに入れてていただきたく電話をさせてもらいました。お返事待っています。」
とあたかも好きな人に告白するような内容の伝言を入れました。

N氏との出会いは16歳の時に<24時間テレビ 愛は地球を救う>のボランティア活動に参加していた時でした。
僕たちは野外の建物の2階で募金の呼びかけをしていました。
そして吹き抜けの1階ではアマチュアミュージシャンのコンテストが行われていました。

僕もギターを小学生の頃から始めてバンドを組んだこともあり、当時椎名林檎さんも発掘された<ティーンズミュージックフェスティバル>に出場していました。
予選を勝ち抜き、愛知県のファイナル大会まで出場した経験がありましたが、メンバーとのいざこざがありバンドを脱退して次のバンドを探している最中でした。

その時に地元のデパートの外れで弾き語りをしているN氏に会いました。
それが初コンタクトでした。
「なんで弾き語りやってるんですか?バンド組めばいいのに…」
僕は疑問を持って聞きました。
N氏は
「バンドも組んでるけどまだLIVEで緊張してしまうから、自分の殻を破る為に弾き語りをしてるんだよ」
と教えてもらいました。

その言葉に僕は目から鱗が落ちました。
そして弾き語りの様子を見せてもらいました。
まずは誰もが知っている曲を歌い通りがかりの人に脚を止めてもらう。
歌もルックスもそれなりに良いN氏はすぐに10人程のお客さんを集めて喋り始めました。
内容は自分のバンドの宣伝でした。
そしてすかさずオリジナル曲を1曲弾き語りをして見せました。

そこからどんどんお客さんとの距離を縮めるかのごとく、
「誰か好きなバンドや歌があれば歌える曲があれば歌うのでリクエストお願いします。」
とリクエストをもらっていました。

ミスチルが好きな女性から何でもいいので歌ってほしいとリクエストがあり、さらっと歌ってしまいました。
それからどんどんお客さんは立ち止まり総勢50人ほどの人だかりが出来ていました。

とにかく衝撃的でした。
そして2時間程歌うとノートを取り出して観に来てくれていたお客さんに
「LIVE観に来てくれる気のある人はメアドか住所か電話番号を書いてくれませんか?」
と慣れた手つきでお客さんの情報を聞き出してファンを作っていました。

僕は感動してしまい。
「かっこいいです。バンド入れてもらえませんか?」
とお願いしましたが、
「今ギター居るからゴメン。」
といわれたのが初コンタクトでした。

それから1年程立ち24時間テレビのボランティアに参加している時に、
コンテストにソロで出場しているN氏を見つけたのです。
相変わらず歌は上手いのですが持って行ったオリジナルカラオケを何故かカセットテープに入れて持って行った為にチューニングがずれまくっていました。

25年前はMDやカセットテープが主流でソロの方で音源を持っている方はほとんどがMDに入れて持って行ったそうですがN氏はMDのデッキを持っていなかったので音源カラオケをカセットテープに入れてコンテストに持って行ったのです。
カセットテープの弱点は再生するデッキによってチューニングが狂ってしまう事でした。
N氏はコンテストで使うカセットデッキなんだからチューニングなんて狂うような安物は使わないだろうと思ったのだそうですが結果見事にチューニングがずれて審査委員にボロクソ言われていました。

それを見て僕はめちゃめちゃ笑い転げてN氏の所に行きました。
「残念でしたね!!」
と言うと
「ホントやわぁ。今回の曲自信あったんやけどなぁ…」
とぼやいていました。

それが本当にまともにコミュニケーションが取れた時でした。
そして冒頭にあるようにLIVEを観に行きギターが抜けてしまうというのでチャンスを逃すまいと、速攻に電話を掛けて留守電に伝言を残し連絡を待ちました。

3日後に電話がありオーディションをしたいからLIVEで配った無料テープをコピーしてくるのとオアシスの曲とイエモンの曲をコピーして来てくれと電話がありました。

当時は携帯電話が要約普及しだした頃で通話内容をあらかじめ決めておき必要最小限の言葉で伝えなくてはならなかったのを覚えています。

そしてオーディションも無事クリアしてLIVEを色々やって行こうと僕が提案して活動の幅を広げました。
そしてお客さんへの宣伝の為の弾き語りをギターの僕とN氏で行う事にしました。
思ったより集客は難しくN氏と頭を悩ませていました。

そこで再びあの<自分の殻を破る>という言葉を思い出して、自分たちから歩いている人たちに向かい話しかけて曲を聴いてもらう事を行動に移しました。
思いは的中してお客さんにチケットを買ってもらう事が出来たのです。

…そう全ての原点は20年以上前の弾き語りにあったのです。

今は父が慢性骨髄性白血病を患い介護離職中です。
その前から僕がうつ病を患っており安定した職に就けずにいました。
安定しない原因は人間関係すなわちコミュニケーション能力の欠如。
医師にも適応能力が欠けてしまっているから自立支援事業所での訓練をすすめられ見学に行ったのですが、はるかに自分より症状の重い方ばかりで僕は一般就労で働く事を望みました。
が、やっとついたアミューズメントセンターの職を腰痛の持病もあり退職してしまったのです。

父の介護を24時間家族と交代しながらやっていましたが段々と症状も良くなってきており<自分の殻を破る為>に弾き語りをスタートしたのです。
初心に帰る。
人生の再スタートだと決めて弾き語りをしています。
これからも時間が出来た時はどこかで弾き語りをしている。

父の病状も安定して復職活動も行いながら続けていきます。
こんな僕ですがよろしくお願い申し上げます。

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成人病予備軍の方達へ!!

先日健康診断を受けて結果を聞いてきました。

そして右の評価欄のほとんどの欄に赤字でHの文字が…

かかりつけ医の女医さんに、

「成人病に片足突っ込んでます」

「薬で楽すれば私達は潤うけど、やっぱり運動習慣をつけないとね」

と、薬での治療に頼らず運動習慣をつけるように促されました。

それ以降は雨の日も傘を差しながらキッチンタイマーで15分にセットして歩きはじめます。

タイマーが鳴ってから家に引き返すとだいたい30分程のウォーキングをした事になります。

 

ウォーキングもただ歩けば良いと言う訳ではなく脚にあったシューズを履いて手を走る時のように振りながらなるべく早足で歩く。

 

こうする事により身体に負荷が掛かり有酸素運動の効果が出るようです。

以前は20分以上の有酸素運動で脂肪の燃焼が始まると言われていましたが最近の研究で人により誤差が生じる為に身体がポカポカして来たら、汗ばんで来たら効果が出てきた証なので体調に合わせて行う事が1番だそうです。

 

その後に腹筋運動など脂肪を減らしたい部位の運動をする事によりダイエット効果が得られます。

 

逆に筋肉をつけたりサイズアップしたいという場合は筋トレ事に有酸素運動が効果的です。

 

食事は高タンパク低脂肪を徹底します。

あとは白砂糖を多く使った食料品も避けるようにしてください。

 白砂糖にはタバコなどと同等の依存性があると言われています。

実際に刑務所などの食事では嗜好品と扱われ味付けには最低限の量を刑務官の厳重監視の元、砂糖を量るのです。

 

成人病に片足突っ込んでいる僕はそれ位の食事管理が必要なのです。

 

ジュース類なども避けなければいけません。

500mlのペットボトルに赤コーラには13個以上の角砂糖が入っています。

もったいないですがフライパンで500mlのコーラを煮てみてください。

しばらくすると大きな塊ができます。

それがほとんど砂糖なのです。

 

なので僕はマイボトルにほうじ茶を入れて持ち歩いています。

マイボトルを持ち歩く事により経済的にも環境保全にも有効な効果も得る事が出来ます。

是非お出かけの際はマイボトルを持っていただけますようお願い申し上げます。

 

食事の量と食べる順番も大切になります。

ごはんなど炭水化物から食べると急激に血糖値が上がり〈血糖値スパイク〉と言われる状態になります。(青文字にリンクが貼ってあります)

なのでフランス料理のフルコースや、和食の懐石料理の様に野菜から順番に食べ始める事が重要です。

あと量はカロリーと関係してきますが、1日のカロリー摂取量の目安として、

一般成人男性カロリー摂取量=2200に+、-200カロリー

一般成人女性カロリー摂取量=1,400~2000カロリー

が目標値です。

 

インターネットなどでカロリー換算表があります。

最近はスマホのアプリでも食べるメニューを入力するだけでカロリー換算してくれる便利な物もあります。

是非利用してみてください。

カロリー換算表↓

www.tanita.co.jp今回のブログのまとめとして、
・運動習慣をつける
・食事方法に気を付ける
・カロリー計算をしっかり行う

大きく3点にまとめました。

是非参考になさっていただけると幸いです。
ご完読ありがとうございました!!
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様々な依存症とその対策について

このブログの内容は先日Tweetした内容と重複しますがtwitterをしてない人にも幅広く周知していただきたい為に改めてコピぺさせてもらうと同時に更に内容を追加しています。
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様々な依存症に苦しむ方へ読んでいただきたい書籍があります。

S.スマイルズ氏の著書

【自助論】

です。
生きて行く上での感謝や人間関係の構築の仕方などが詳しく書かれています。

【色々な依存症について】
先日もTwitterで発信したのだが占い依存症で、更にギャンブル依存症の元同僚の妻があるサイトのおみくじをひいてギャンブル運大吉と出たそうです。
勘の良い方はもうお気付きだと思うが身ぐるみ剥がされて来た挙げ句に車まで売ってしまったそうです。
昨日その元同僚からLINEがあり話を聞いていたら気持ち悪くなってきて途中でLINEをやめました。
見なければいいじゃんと極論を言うばかりのグルチャの先輩。
「行かなければいいじゃん。じゃあ生きるの止めたら? 」
極論にうんざりしてしまいました。
アルコール依存症の人はコンビニの看板にビールと書いてあるのを見て1時間も立ち尽くすそうです。
TVのCMでビールが出てきた時の心境は想像を絶するものがあります。
占い依存症の人は日常の行動パターンを全て占いに頼ったり、 ネットの占いサイトに課金し続け借金までする人もいます。
ギャンブル依存症の人はもう頭の中はギャンブルの事ばかり。
それに占い依存症の人がギャンブル運大吉なんてみたらもうギャンブルに行ってしまうに決まっています。

どんなギャンブルに使ったかは分からないが車まで売ってきてしまうとは…と憔悴しきっていました。
何でも極論で片付けてしまっては何も出来なくなってしまいます。
それこそ目を閉じ続け、耳をふさぎ続けねば行けなくなります。
そうならない為にも周囲の家族の方や知人の方が怪しいと思ったら本人に話せたら1番なのですが、本人が逆上してしまう場合も考えられる為に各相談窓口があるのでそこに相談するか、役所の相談窓口か福祉課に相談に行っていただきたいです。
同僚夫婦のような姿は見るに耐えないのです。

是非依存症克服の為に周囲の方々の協力を仰ぎたく感じます。
・本人に気付かせる事。

・周囲の人間に迷惑がかかっている事に気付かせる事。

・本人が治療するという意思を持つ事が大切。

一人でも多くの人が多岐に渡る依存症克服をされる事を心から願います。
もっさん@全力せどりパパさんのnoteにギャンブル依存症の内容が書かれてます。
是非参考になさってください。

もっさんのTwitterプロフに飛びます。↓

twitter.com

もっさんのnoteにもギャンブル依存症の事が書いてあります。 是非ご覧になり、 該当される方、該当される家族や知人が居るという方は参考になさっていただきたい。

もっさんのnote↓

note.mu

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ロックだぜ!!パンクだぜ!!

ギターを引き始めてはや30年が経とうとしています。

始めてもったギターは従兄弟が働く楽器屋さんから買ったYAMAHAの初心者用ギターセットです。

RGXシリーズの下位機種でしたが始めてギターを持つには十分過ぎる安定したギターでした。

 

ギターと共に寝たり、ご飯食べる時もストラップでギターをぶら下げながら食べたりと、とにかくギターを手離す時間をなるべく少なくして、

勉強もあまりせず(^_^;)

 

色々な音楽を聴きながらギターで真似して弾いてみたりしていました。

 

キャプテン翼の翼君は、

「ボールと友達になるんだ」

と名言を残していますが、

僕は、

「ギターと友達になるんだ」

という思いでギターと接していました。

 

多くのギターを弾き、

多くのギターと出会いと別れを繰り返しました。

 

歴代1番のギターは何だろうと考えてみました。

それは16歳の時にバイト代全てを使い買った、

Fender Japanのジャズマスターです。

あのギターは確かLIVE後に盗まれてしまい、

未だに見つかっていませんが好きなギターでした。

 

僕はリスペクトするギタリストとして真っ先に挙げるのが、

車谷浩司氏です。

概要はリンクを貼りますのでご覧ください。
車谷浩司氏のWikipediaです↓

ja.wikipedia.org

小学6年生の時にビートルズを聴いていたと以前ブログに書いたことがあったと思いますが、
同時に姉はギターこそ弾きませんでしたが邦楽ロックを聴いていました。
ブルハもユニコーンジュンスカBAKUも全て姉の影響で小学6年生の時に聴いていました。

愛知県は当時豊田市でLOVE ROCK`Sというフェスの先駆けのような野外イベントをやっていました。
ハガキで前の方のアリーナ席は取れますが、後ろのほうは何と無料開放という形で観れたので色々なバンドを見ることが出来ました。
年代は違いますが印象に残ったバンドを挙げていきます。

まず印象に残っていたのが、
ぞうきん!!ぞうきん!!
と叫んでいるバンドのBAKU

後は初期のジュディマリ
ロリータGoGoを歌うYUKIさんに釘付けでした。

最高にロックしていたのが、
我らが日本のロックンロール!!
ミッシェルガンエレファント!!
ゲットアップルーシーをリリースした直後の出演でした。
めっちゃ怖かったです(;'∀')

あとは今は亡きヒーロー、
忌野清志郎さん。
デイドリームでPUNKの兄貴達と号泣しながら大合唱をしました。

なので邦楽ロックを知るのに大変恵まれた土地にいました。
とてもありがたいことです。

その中でも先に挙げさせてもらった、
車谷浩司氏からの影響は半端なく大きかったです。
SPIRAL LIFEからAIR、今はイカカムバックという名で活動をされています。

彼の音楽性というのは実に多様性を持っていて、
一時期はカタログアーティストと言われており本人も大変苦痛を味わったそうです。

彼のギターも好きなのですが、
作詞作曲の名手で全ての歌に僕は心惹かれました。
なので一番好きな曲とか聴かれても全部としか言えないのです。

大変穏やかな外見ですが、
BAKUの最晩年はライブ中にギターを叩き壊し、まだ解禁されていなかった解散を独自の意見で発表してしまうなどフーリガンな一面も持っています。
ドラゴンアッシュやライズなどのミクスチャーロックブームの頃は本人がやりたかったどうかは別として、
ラウドロックをかき鳴らしドラゴンアッシュやライズなどに大きな影響を与えました。

しかし彼が求めていた音楽は自然とワールドミュージックへと感化されていきます。

ひとつの音符にひとつの文字を基本として、
名手と言われるギターに乗せてリズミカルに歌う曲はとても壮大でした。

彼は最近のインタビューでこう語っています。
「僕はポールサイモンになりたかった」
彼がいかにメロディを大切にした音楽を作り発表したかったのかが、うかがい知れるインタビューとなったのでした。

ぼくはAIRラウドロックをやる頃にはもうAIRから車谷浩司氏から離れないといけないと親離れにも似た気持ちで、
他のミュージックシーンに首を突っ込んでいました。

‘80sPANKを知人に紹介され見事にはまっていきました。
US PANKとUK PANKと2つの流派に分かれるのですが僕はビートルズ好きでもあった為、UK PUNKに感化されていきました。
バンド名には疎いのですが沢山カセットテープを作ってもらい車に乗り、大音量で聴くのが好きでした。

そして愛知県西三河地方は‘80sPANKに影響を受けたバンドが沢山ありライブイベントも沢山あったのでライブ会場でモッシュして音楽の渦に巻かれるのが大好きでした。

そして現在はギターを弾き始めた初心に戻って、
好きな曲をギターで弾けるようにする。
好きな曲をギターを弾いて歌えるようにする。
原点に戻りギターを弾いています。

正に題字にもある様にロックだろうがパンクだろうがギターを弾ける環境に感謝しながらギターを弾いています。

録音環境などをまずは整えて作詞作曲した曲をレコーディングして、
YOU TUBEで発表するのが夢です。

その中で引き語り配信もしていきます。
どうかギタリストはかせをこれからも宜しくお願いします!!
ご完読ありがとうございました!!
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好きな食べ物は何ですか?

突然すみません(・∀・)

僕は食いしん坊です。

特に好きなのはラーメン🍜です!!

 

その中でも特に好きなラーメンは、

すすきのラーメンの味噌味です。

同じ位好きなラーメンは二郎系の野菜と肉をマシマシにしたラーメンです。

 

ラーメン🍜を食べる為に定期的に運動をして筋トレをしていると言っても過言ではありません(笑)

 

介護職をしている時に同僚がラーメンツアーをよく企画してくれて、

車で1時間以内で行ける美味しいラーメン屋さんに行っていました。

ツアーと名打ってあるだけに3,4件はハシゴします。

3軒目は修行のような時間になります。
おなか一杯で入るかなと思い食べ始めるのですが、意外とツルツルっと吸い込んでしますのです!!

大体4人で行くのですがA~C評価があり。特別に美味しというお店はSランクがつけられます。
Aランクを最高にCランク。

お店のラーメンの味もありますが、接客などかなりミシュランガイドに近いwww評価を付けます。
それをY君がノートにまとめて次のラーメン同好会の日程とお店を決めます。

ラーメン専門店に限らず、ラーメンを出している店というくくりで同好会は行動するのである時は飲み屋さんの〆のラーメンを実際にお酒を飲んだ後に食して果たして本当にこのラーメンで〆れるのかを評価します。

で、Y君が酔っ払った参加者の感想を聞きノートにまとめるのです。
たびたび Y君が今回のブログに登場しますが、とても好青年で煙草も酒も飲まない…というか煙草吸えない酒飲めないという中学生のような青年でいつも飲み会やラーメン同好会では運転してくれます。
ありがとうY田君!!
もう名前ギリギリですがwww

一番イキっていた時は愛知県碧南市から神奈川県横浜市ラーメン博物館に下道で行くという冒険もしました。
夜出て朝7:00にやっと神奈川県に入った時の達成感は忘れません。
皆軽く燃え尽きてラーメン博物館に行かずに高速乗って帰ろうとか言いだす人も出だして楽しい小旅行となりました。

ラーメン博物館では北海道の味噌ラーメンの名店<すみれ>さんの味噌ラーメンを食べて感動したのと、和歌山ラーメンの醤油豚骨ラーメンがとても美味しかった記憶があります。

道中トイレを借りにコンビニに寄って僕を始め皆が買い食いをしていたので、ラーメン博物館では皆2杯でギブアップしました。

帰りは高速に乗って途中、足柄 PAで温泉に入り更に愛知県に入ってからもスーパー銭湯でラーメンを食べるという超人的な体力を知った横浜遠征でした。

介護の仕事をしていると物凄く体力つくんだなぁと感じた一日でした。

そしてこれからもおいしいラーメンを求め日夜情報取集をしていく所存でございます。
またおいしいラーメン屋さんを見つけたらブログで紹介させてもらいます。

ご完読ありがとうございました!!
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青年よ大志を抱け!!一期一会の刻を過ごして

先日のブログにも登場していただいた、グミさん
ぐみ🌕共感引用者 (@gumi_true555) | Twitter
に誘われて、初対面のラーメンオフ会の翌日もグミさんの知人が企画運営するイベントに行ってきました。
岡崎公園の乙川の堤防で開かれていたイベントですが動物とのふれあい、
音楽LIVE、DJさんの心地よい選曲でまったりとした時を過ごすことができました。

グミさんと白蛇のコラボ画像です。
待ち受けにすると運気爆上げの予感(^^)
グミさんの優しい表情が人間性を伝えています。

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そして僕がペットとして飼いたい動物No.1のイグアナさんもいました。
超嬉しくてテンション爆上げしてました。
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このリクガメさんは会場を自由に歩き回っていました。
柵を押して飼育係さんにつかまっているのを見て微笑ましい光景だなと、ほっこりしていました。
なかなかデカい亀さんでした。
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今度はミミズクさん。
カメラ目線をバッチリと決めてくれました。
カッコいいですね!!
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会場には僕の夜の予定があり1時間程しかいれなかったのですが、グミさんのお友達とも出会うことが出来て有意義な時間でした。
今の20代の青年達がこういったイベントとフェスを企画運営していることに、時代は流れているけど考え方は変わっていないと嬉しく感じました。

イベントやフェスを企画するのには色々な側面で会場選びやPR方法などを考えなければなりません。
余程の資本力がない限りは雑誌やTV,ラジオなどのメディアに広告を打つことが出来ません。
僕達の時代はある程度のバンドで培ってきた知名度を利用してイベントを企画運営していました。
当時では珍しいド素人が2日連続で地元中部地方で活躍するバンドを20組選びジャンルもバラバラだけど自分達がカッコいいと感じたバンドを、自分たちのファンにも知って欲しいという大義名分でイベントを打ちました。
そうすると口コミでイベントの内容が広まって行き、フライヤーを大急ぎで印刷して関係各所に配りました。
当時はSNSなんて便利な物は無くとにかく行動してイベントの宣伝をするという形をほとんどのイベンターがとっていたと思われます。
そして当時発行されていた雑誌<チケットぴあ>さんにも取り上げていただき、地元のローカル雑誌の<ティーワン>という雑誌にも1ページまるっと取り上げてもらい手作り手書きのチケットが最初の発行枚数よりも多く売れました。
当日キャパが400人の会場はいっぱいに埋まり数々のバンドが素敵なLIVEを繰り広げてくれました。
2日目も超満員。
知恵を絞って二日通しのチケットと別々のチケットを用意しました。
別々のチケットを購入していただけるお客様が多かったのですが、1日目の熱狂から冷めたくないと2日目も当日チケットを買って入ってくれたお客様が約200名。
入場規制をしなければいけないほどになりてんてこ舞いでした。
無事2日間を乗り切り各バンドの皆さんと飲ませていただいた打ち上げのビールの味は忘れることが出来ません。
そこで学んだことはイベントの企画運営を行う際、
お客様の安全を第一に考える
これはもし不意の火災、地震などの災害が起こった時の対応を決めておく。
喧嘩などがあった場合は毅然とした態度で暴行などがあれば警察に通報する旨を会場に張り出す。
やはりせっかく足を運んでいただいたお客様に嫌な思いをして帰っていただくのは心痛いものがあります。
なので安全に平和にイベントを運営していくにはどうしたらいいかしっかりルールを作ります。

2.内輪だけで盛り上がりすぎない
これは音楽ジャンルの違うバンドや違う地方からツアーでやってきたBANDさんに配慮する事の大切さを説いています。

なるべく話しかけてコミュニケーションを取り、横の関係を広げていくのには物凄いチャンスなので特に若手のバンドにはこの事をしっかりと教えて横の繋がりを作る事を促しました。
その後仲良くなった他地方のBANDさんからイベントに呼ばれてツアーにでるBANDが出たのには喜びを隠しきれませんでした。

・何事にも感謝してコミュニケーションを取る際は相手を敬う
結局全てはここにあります。
イベンターさんの人間性で出演を快諾していただけるBANDがあり、チケットを購入して来場していただけるお客様があるのです。
媚びる必要は全くありません。
デールカーネーギーの著書<人を動かす>にも書いてあります。
相手の自尊心を傷つけない。
簡単なようで難しい事なのですが、イベント企画運営の際に自分の意見を押し通しすぎてはいませんか?
仲間の意見をしっかりと理解して最後まで聞いてから意見していますか?
出演交渉の際にマウントをとっていませんか?
ギャラを払う立場だからといって無理強要は絶対ダメです。
会場を貸していただけるオーナーさんや店長さん、施設の方にしっかりと挨拶をして当日の運営方法と何かが起こった時の対処法を書面で提出していますか?
収益をしっかりと代表納税者が納税していますか?

これらの事が出来ていないのならば直ちに企画をやり直して欲しいです。

グミさんと話をさせていただいて自分が気付きをいただいた内容を書かせていただきました。

学生さんのイベントの企画運営は社会に出てから大きな経験となります。
経営の勉強、営業の勉強、物販の勉強、マーケティング戦略の勉強が同時に出来るのですから。
思考を行動に移し実現させ成功実績を体験できる。
こんなに素晴らしい事が一度に経験できるのです。
青年よ大志を描き街へ出よう!!
そして大志を抱き実現させよう!!
僕も40代だけどまだまだ夢は沢山実現させたく行動しています。

今回の2日間のグミさんとの会談の中で僕の魂がメラメラと燃え始めています。
東京へ行くグミさん愛知県三河地方から応援しています!!
ありがとうございました。
諦めかけていた人生を取り戻す覚悟ができました。
再び会うときは再び笑顔で会いましょう!!
最後に苦労しないようにとゲン担ぎを込めて<不苦労>
フクロウさんの画像を捧げさせていただきます。
ご完読ありがとうございました!!
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