凶器を楽器に持ち替えよう運動 その3

前回は暴走族を脱退した同級生からの電話。
「バンド組もうよ!!」
約束をすっかり忘れていた僕なのであります。

その電話があった後すぐにXjapanのコピーバンドをやっている同級生に
コピーバンドじゃなくて、オリジナル曲を作って新しいバンドをやる」
と電話をかけて脱退を告げました。
この時にあまりにも突然の出来事に他のメンバーに怒られました。
ですが個人情報を晒さないギリギリの表現で事の経緯を説明して理解してもらえました。

「暴走族抜けてバンドやって更生したいと言っている友達の手助けをしたい。音楽がみんなを平和にする証をみせるから〇〇君のバンドもこのまま続けて一緒にライブしよまい」
そう言ったのを覚えている。
殴られるかなと思いましたが、
「はかせがやりたい音楽を聞かせて欲しいから最初のライブはこっちでやって」
とありがたい言葉をもらって円満脱退しました。

そしてオリジナルバンドをいざ組むことになりました。
すでにM君(暴走族を脱退した友人をこれからこう呼びます)は、
僕がギター、Y君をヴォーカル、D君をベースにM君はドラムという布陣を作ってくれていました。
Y君もM君も曲を作ることが出来たので僕も初めてのオリジナル曲をM君の家で録音しました。

3コードにAメロとサビにCメロと簡単な作りでした。
ビートルズの「Love me do」という曲のオマージュとしてメロディから作りました。

それから作詞作曲の面白さに取りつかれひたすら曲を作り詩を書き続けました。
当時影響を受けたのはジョンレノンの「イマジン」や
ビートルズの「Let it be」のような聖書に出てくるようなシンプルな言葉に美しいメロディを乗せる事を意識して曲を書きました。

谷川俊太郎さんの詩集を読みあさり、
ビートルズとジョンレノンのソロになってからの曲の詩を読んでは似たような言葉を選び詩を構築していきました。

`60s~`70sの時代のロックミュージックの再構築をテーマに僕は曲を書きました。
Y君はミスチルが好きだったのでその影響を。
M君はザ・ブームが好きだったのでその影響を受けた曲を書いて次々にアレンジをかけて仕上げていきました。

その時は16歳皆高校1年生でした。
その時の音楽の時代背景は邦楽はミスチルスピッツ小沢健二コーネリアスといった渋谷系が流行り出していました。
僕が影響を受けた日本人ギタリストの車谷浩司氏はSPIRAL LIFEというユニットを石田ショーキチ氏と組み活動を始めていました3枚目のアルバムが出た頃だと思います。
外国では中3の冬、カートコバーンが頭を銃で撃ちぬいて自殺するというセンセーショナルな事件が起こりました。
当時バンドやろうぜ!!という雑誌とプレイヤーという雑誌を購読していてニルバーナというバンドにカートコバーンがいるのを知っていましたが何となくこの人自殺するなと虫の知らせみたいなものをインタビュー記事を読みながら感じていました。
しばらくはニルバーナロスが続きましたが、
アメリカのグリーンデイが「ドゥーキー」というアルバムを引っ提げてバスケットケースというとてもアッパーな明るい曲を出し、ニルバーナのセールス記録を破り、一気にメロコアブームがやってきます。
その頃から日本のハイスタやブラフマンというバンドの存在を知る事になり以後の作曲生活に大きな影響を受ける事になります。
続く…

ご完読ありがとうございました!!
Twitterをやっています!!
フォローしていただけると喜びます!!
はかせコバルト@ギタリスト↓

twitter.com