凶器を楽器に持ち替えよう運動 その4

では前回の続きです。
海外ではニルバーナの時代が終わりアメリカのグリーンディが台頭しメロコアブームに火が付き、西海岸のスケーター文化が更に巨大化してミクスチャーロックなどがそれぞれブームになっていました。
その中でも特異だったのが、
ハードコアのナパームデス(高速ハードコア)
ドーゥムメタルのカテドラル(超低速ハードコア)
ジャンル不明のアナルカントというバンドもCDを取り寄せて聴いていました。

さて自分たちのバンドですが12月に僕の地元の楽器屋さんで
YAMAHA主催の「ティーンズミュージックフェスティバル」という10代限定のコンテストがある事を知りまずは音楽業界にコネを作ろうという戦略で出演応募しました。
見事テープ審査を勝ち取り出演が決まりました。
そしてオリジナル3曲を持ち寄りLIVE審査を行い優勝したら、名古屋の有名なライブハウスのダイヤモンドホールセミファイナルの出演権をもらえるというものでした。
転校して愛知県でも有名なお寺の町から、自動車の町へ来た時は中学校で転校というだけでイジメを受けましたがこのコンテストに今までの人生全てを掛ける事にしました。

優勝してイジメた奴らを見返してやる。

中学3年生の時にバルセロナオリンピックで同い年の岩崎恭子さんが水泳で金メダルを取りました。
その時に、
「今まで生きてきた中で一番幸せです」
とインタビューで話した時に感動しました。
大人たちはまだ14年しか生きていないのにとあざ笑いました。
ですが人生を語るのに年齢は関係ないと思っています。
例えば今僕は40歳を超えましたが、オリンピックに出て世界で戦える実績を持った競技はありません。
しかし当時14歳の岩崎恭子さんは世界で戦える実績をもった水泳の平泳ぎという競技を得意としていました。
生まれもって速く泳げるコツを持っていたのかも知れません。
しかし世界で戦うという事は並大抵の努力と根性では叶わないと思うのです。
この言葉をあざ笑った大人の同調圧力に負けて成績不振に陥った岩崎恭子さんの姿を見て、大人達って汚い存在だと思うようになりました。

そして僕は「今まで生きてきた中で一番幸せです」と言う為に、バンド練習を頑張り引っ張りました。

そしてコンテスト当日。
お寺の町の同級生が電車に乗って応援しに来てくれました。
その中に僕の好きな人がいました。
お互い別々の小学校から同じ中学校に入り、初めてのオリエンテーションという泊りの合宿で話すようになり壁を一切作る事もなく接してくれた女の子が観に来てくれてテンションが上がりまくりました。

自信をもって仕上げた3曲を全力で演奏しました。
その結果。
優勝しました!!

初めてのLIVEで、初めてのオリジナル、曲初めてのコンテストで優勝をかっさらってきました!!
急いで皆で僕の家に帰り優勝を祝いコーラで乾杯をしました。

もういじめに遭った事とかどうでもよくて、とにかく今この瞬間を楽しんだ奴が輝ける事をLIVE会場にいた皆、応援しに来てくれた仲間に知ってもらう事が出来ました。

その日の夜は嬉しくて一人ギターを弾きながらダイアモンドホールでの勝負の曲をどれにするかを決めていました。
勝負はまだまだ続くので気は抜きませんでした。

続く…
果たしてダイアモンドホールでのセミファイナルの結果はどの曲を選んだのか?
お楽しみに!!

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