凶器を楽器に持ち替えよう運動 その17

凶器を楽器に持ち替えよう運動とうとうファイナルとなります。
はかせコバルト

です。
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さて前回の続きから…

東京渋谷で援助交際を生で見てしまった僕は日本の汚い所を見てしまったと同時に援助交際をしている女子高生からお金を集めている同世代位のチーマー風の2人組に対して
情けねぇな…
女転がして自分らは昼間から酒飲んで堂々と道端に座り込み僕達みたいなお登りさんにちょっかいを出してくる。
しょうもない奴らだな…と思っていました。
しかし彼らはラジカセを持っていてそれこそヒップホップを大音量で流しあたかも渋谷が日本のスラム街であるかのような雰囲気を作り上げていた。
そして彼らも音楽を欲していました。

名古屋にもそのような連中は沢山いたので結局はどこに居ても変わらないんだな。
と実感したのもこの時でした。

で地元に戻り相変わらずLIVE活動に重点を置いた活動をしていた所、
僕達にイベントをやって欲しいと若手のバンドが頭を下げに来たのです。

僕はどうせやるなら土日の朝から晩までひたすらLIVEをやって見に来てる人達や出演バンドにLIVEの面白さや楽しさ音楽の素晴らしさをとことん味わってもらいたかったので2日間ライブやりっぱなしという超強行スケジュールを考え3日徹夜で参加バンドにアポを取りました。

チャージバックは無いけどその分、動員が凄いからお客さん奪いあっこしてよって感じでほとんどのバンドと話がついたのです。
そうすると噂が噂を呼んで俺達も出たいと県外のバンドやハードコアやパンクのバンドにまで出演のアポを取りに行きました。

とにかく自分達の地元から発信していこう。
だからお客さんに対するセキュリティも甘くしました。
「暴走族でもPUNKSでも誰でも来て楽しんでって欲しい」
そして1日目がスタートしました。

当時地元で1番若いBANDにオープニングを任せて
「このLIVEに出たっていう爪痕残して来いよ!!」

と言ったらまさかまさかの1バンド目から会場が超満員。
400人のキャパに500人ギュウギュウ詰め。

もぎりの女の子達にとにかく不正入場だけあったら報告してと無線機を手渡しました。
そして拡声器で会場の外にいる人達に
「公共の場でのマナーを守って僕らの世代が歪んで見られないようにしましょう!!タバコやビール飲んでもいいけどちゃんと捨てるべき場所に捨てましょう!!」
ひたすら会場巡視と歩道や会場の駐車場にたむろする人達に注意喚起を行うと更に会場が一杯に。
オーナーがやってきて
「この人数で中で暴れられると床が抜けるかも」
と注意された。
「でも若い子らが息抜きする所もなきゃな~」
と笑う60歳位のオーナーと色々話をさせてもらった。

「文化って大学がある所に出来るんだよね、この町は自動車を作る為だけに作られたような物だけど2世、3世があんた等だからうまい事やれば文化が根付くよ!!頑張ってくりゃありがてぇわ!!」
と笑いながらゴミを何度も取りに来てくれた。

そして僕達のライブが始まった。
ずっとキラキラしてる記憶しかない…
皆がモッシュピットで暴れまくって、ダイブする奴がいて、マイク奪われて一緒にコーラス取ったり…

一番記憶に焼き付いたのがN君が
「このLIVEを企画、運営してきたはかせ一言頼む」
と話を振ってくれた。

「世界はまだ平和じゃないけど、日本も薄汚れちまったけど、この地方にも悪い奴らはいるけど、こうやってLIVEしている姿見てくれてさ、自分もギターやってみたい、ベースやってみたい、ドラムやってみたいって思ってくれたら最高やんね。人を殴る手じゃなくて楽器を持つ手に変えようよ!!鉄パイプや金属バット持つ手を楽器を持つ手に変えよまい!!」

泣きじゃくりながら話したというより叫んだ。
ここからが
<凶器を楽器に持ち替えよう運動>
の始まりでイベンターとしての僕の引退式でもあった。

決めていたのだ。
我が家は自営業で資金繰りが上手くいっていない。
父からバンドを辞めて仕事をしてくれと頼まれている。
もちろん家庭がぐちゃぐちゃになったらバンドどころじゃない。

このバンドでメジャー行きたかったな…
行きつく所ってどんな所でどんな気分だろ?
アムラーの女の子が
「ダッサ」
と言って笑っている。

そう脱退をこの半年後に通達してこのバンドでの物語は終わった。
そうして自動車を作る町から追われるように海の見える我が家の自営業の終わりも見た。

でもまだ心の片隅にくすぶってんだよなぁ。
まだ煙は出とるんよ。
凶器を楽器に持ち替えよう運動の火は20年間消えてないんよね。
再開するのは今だっていう事!!!

長らくのご完読ありがとうございました。