これから2020.2.18

これから沢山泣いたり笑ったりして過ごすのだろう。

昨日、今日はホントに無我夢中だった。

姉の入院。

僕は酷い鬱になりかけた。

たけど、退院してきた姉に元気な姿を見せたい。

ここを乗り越えたい。

今日は職場への休みの連絡がうまく取れなくて上司に怒られて凹んでるけど、

明日はきっといいになる。

って信じて寝ようと思う。

良くも悪くも姉が我が家のムードメーカーだったんだなと静かになった家で家族が感じているだろう。

仕事が思うように覚えれなくて凹んでしまう事もあるけれど、

毎日明日はきっといいなる!!

いい日にする!!

って思いながら寝たい。

介護職員になったきっかけ

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僕が介護職になったきっかけは、リーマンショックでした。
それまでは愛知県のメッキ工場で働いていました。
リーマンショック直前は大繁盛期で朝6時から夜中の1時までなんて事がザラにありました。
ブラジル人の人達と働いていたのですがあまりの忙しさに1人抜け2人抜けと人がどんどん辞めて行きました。
日本人の従業員は僕一人なので社長の息子は営業に回り、僕は品質管理兼運転手兼ライン保全とライン作業以外の仕事を全て任せられました。
詳しくは書けないのですが、環境保全の仕事がとても重要で排水を色々な薬剤を使って強アルカリを中和して純水にして外に流さないといけません。
この仕事が2時間おきにあり、ph(ペーハー)試験紙といってアルカリ水と酸性水をこの紙を浸して色を見て合格ラインがでたら川に流すことが出来るのですが中和されにくい時もありその時は仕事の最後の作業で行うのですがこれに時間がかかり帰るのが遅くなってしまうのです。

そんな日々が続く中で僕は自律神経失調症を発症していまいました。
2週間休養との診断書が出て休んでいる間にリーマンショックが起こりました。

2週間後復帰してからは仕事があるのですが製品に関わる仕事は無く、リハビリとしてパートさんの補助で働いていました。
1週間ほど経つと社長に呼ばれ退職を促されました。
そしてどんどん仕事の内容も掃除や窓ガラスを希硫酸で拭き取るなど製品に関わる仕事からは一切干されてしまいました。
先細りの懸念から妻と話合い退職する道を選びました。
その間仕事を探している間に妻との離婚が成立して、自律神経失調症からうつ病へと病名が変わっていきました。

実家に帰り引き続きローンの支払いなどがある為、仕事探しをしていた所母が看護助手をやっている病院の系列施設の老人保健施設(以下老健)に行ってみたら?
と言われ迷っていたのですが、1日経って突然母から電話があり、
「今から面接に来てって。履歴書書いてある?」
「いきなりだなぁ…履歴書書いてないよ。まだ迷ってるのに…」
母は
「とにかく面接だけには行ってよ!!」
と強引に押し切られ、スーツを着て老健に電話をして
「突然の事だったので履歴書がかけていないんですが…」
困惑していると
「とにかく顔が見たいから事故しないように来てね」
と女の人から言われ40分近くかかる老健に面接をしていただきました。

施設長が思いっきり剥げていて施設長の頭ばかり見ていたので、内容はよく覚えていませんでしたがとにかく明日から来て欲しいと言われ採用が決定しました。

僕の介護士人生の始まりです!!
次回は<老人介護おそるべし!!>です!!
ご完読ありがとうございました。


 

今後のブログの方向性について

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今後のブログの方向性について考えてみたのですが、
8年間介護職をやってきた経験を活かして、
こういう事があって、こういうふうに対応しました。
って事や、
認知症の方の介護をする事が多かったので、その対応例。
これからご家族を介護施設に入居させるにあたって、
ここは見ておいたほうが良いよとか施設の種類と特性などを専門用語を使わずに分かりやすくポイントを紹介する記事。
など介護全般におけるブログを書いて行きます。
たまには僕の気持ちもブログにしたためますが…
とにかく介護に携わる方のメンタルケアやポジティブシンキングにも的を当てアンガーマネジメントなども一緒に学んでいきましょう!!!
これからも宜しくお願いいたします!!
質問にもお答え出来たらなと思っているのでTwitterのDMに質問を送ってみてください!!
応えれる範囲で答えさていただきます。
匿名希望の方はそのように書いてください。
アカウント名など教えてもいいよって方もアカウント名を乗せておいてくれると嬉しいです!!

これから新たなブログとして進化し続けます。
より介護職の皆さんの話を聞いて横の繋がりを作って施設介護をより良いものにしていきましょう!!

凶器を楽器に持ち替えよう運動 その17

凶器を楽器に持ち替えよう運動とうとうファイナルとなります。
はかせコバルト

です。
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さて前回の続きから…

東京渋谷で援助交際を生で見てしまった僕は日本の汚い所を見てしまったと同時に援助交際をしている女子高生からお金を集めている同世代位のチーマー風の2人組に対して
情けねぇな…
女転がして自分らは昼間から酒飲んで堂々と道端に座り込み僕達みたいなお登りさんにちょっかいを出してくる。
しょうもない奴らだな…と思っていました。
しかし彼らはラジカセを持っていてそれこそヒップホップを大音量で流しあたかも渋谷が日本のスラム街であるかのような雰囲気を作り上げていた。
そして彼らも音楽を欲していました。

名古屋にもそのような連中は沢山いたので結局はどこに居ても変わらないんだな。
と実感したのもこの時でした。

で地元に戻り相変わらずLIVE活動に重点を置いた活動をしていた所、
僕達にイベントをやって欲しいと若手のバンドが頭を下げに来たのです。

僕はどうせやるなら土日の朝から晩までひたすらLIVEをやって見に来てる人達や出演バンドにLIVEの面白さや楽しさ音楽の素晴らしさをとことん味わってもらいたかったので2日間ライブやりっぱなしという超強行スケジュールを考え3日徹夜で参加バンドにアポを取りました。

チャージバックは無いけどその分、動員が凄いからお客さん奪いあっこしてよって感じでほとんどのバンドと話がついたのです。
そうすると噂が噂を呼んで俺達も出たいと県外のバンドやハードコアやパンクのバンドにまで出演のアポを取りに行きました。

とにかく自分達の地元から発信していこう。
だからお客さんに対するセキュリティも甘くしました。
「暴走族でもPUNKSでも誰でも来て楽しんでって欲しい」
そして1日目がスタートしました。

当時地元で1番若いBANDにオープニングを任せて
「このLIVEに出たっていう爪痕残して来いよ!!」

と言ったらまさかまさかの1バンド目から会場が超満員。
400人のキャパに500人ギュウギュウ詰め。

もぎりの女の子達にとにかく不正入場だけあったら報告してと無線機を手渡しました。
そして拡声器で会場の外にいる人達に
「公共の場でのマナーを守って僕らの世代が歪んで見られないようにしましょう!!タバコやビール飲んでもいいけどちゃんと捨てるべき場所に捨てましょう!!」
ひたすら会場巡視と歩道や会場の駐車場にたむろする人達に注意喚起を行うと更に会場が一杯に。
オーナーがやってきて
「この人数で中で暴れられると床が抜けるかも」
と注意された。
「でも若い子らが息抜きする所もなきゃな~」
と笑う60歳位のオーナーと色々話をさせてもらった。

「文化って大学がある所に出来るんだよね、この町は自動車を作る為だけに作られたような物だけど2世、3世があんた等だからうまい事やれば文化が根付くよ!!頑張ってくりゃありがてぇわ!!」
と笑いながらゴミを何度も取りに来てくれた。

そして僕達のライブが始まった。
ずっとキラキラしてる記憶しかない…
皆がモッシュピットで暴れまくって、ダイブする奴がいて、マイク奪われて一緒にコーラス取ったり…

一番記憶に焼き付いたのがN君が
「このLIVEを企画、運営してきたはかせ一言頼む」
と話を振ってくれた。

「世界はまだ平和じゃないけど、日本も薄汚れちまったけど、この地方にも悪い奴らはいるけど、こうやってLIVEしている姿見てくれてさ、自分もギターやってみたい、ベースやってみたい、ドラムやってみたいって思ってくれたら最高やんね。人を殴る手じゃなくて楽器を持つ手に変えようよ!!鉄パイプや金属バット持つ手を楽器を持つ手に変えよまい!!」

泣きじゃくりながら話したというより叫んだ。
ここからが
<凶器を楽器に持ち替えよう運動>
の始まりでイベンターとしての僕の引退式でもあった。

決めていたのだ。
我が家は自営業で資金繰りが上手くいっていない。
父からバンドを辞めて仕事をしてくれと頼まれている。
もちろん家庭がぐちゃぐちゃになったらバンドどころじゃない。

このバンドでメジャー行きたかったな…
行きつく所ってどんな所でどんな気分だろ?
アムラーの女の子が
「ダッサ」
と言って笑っている。

そう脱退をこの半年後に通達してこのバンドでの物語は終わった。
そうして自動車を作る町から追われるように海の見える我が家の自営業の終わりも見た。

でもまだ心の片隅にくすぶってんだよなぁ。
まだ煙は出とるんよ。
凶器を楽器に持ち替えよう運動の火は20年間消えてないんよね。
再開するのは今だっていう事!!!

長らくのご完読ありがとうございました。

凶器を楽器に持ち替えよう運動 その16

令和2年となり今年初のブログとなります。
凶器を楽器に持ち替えよう運動の連載も16回目となりました。
本年も宜しくお願い申し上げます。

はかせコバルト

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さて前回の続き…はかせとN君覚醒する。
前回のLIVEでの失敗を猛反省して次に出来る事は何かを考えました。
それは名古屋の栄でLIVEハウスEの行っている野外フリーライブに出演して無料テープを作ってLIVEを見に来てくれた人達に配りまくるのはどうだろうという所に辿り着きました。
その為にはまずLIVEハウスEの定期ライブを休んで3か月後必ず100枚チケットを売って戻って来るという約束をする事でした。
その日は来ました。
EでのLIVEが終わり担当の人との反省会で取り敢えず今回のLIVEをもって3か月間はフリーライブで集客をしたい。
と言った所で担当のPAさんに
「ブッキング飛ばして集客なんて会社休んで日払いの仕事行ってきますって言ってるのと同じだぞ!!LIVEハウスなめとんか!?」
と突然キレ出しました。
「LIVEハウスがどういう所だか分かりませんがとにかく3か月で100枚チケットを売って形作ります。」
PAさんは
「それ1回きりの話じゃねぇよな?続けるんだよな?毎月100枚。」
N君は
「もちろんプロになるにはそれ位の売り上げが必要なので…」
またPAさんがキレ出す…
「そのプロじゃないって言葉を絶対にEのベテランバンドにすんじゃねぇぞ!!殺されるぞ!!1円でも金もらってる以上はプロなんだって自覚を持ってねぇならEの神聖なステージに立つ資格ないぞ??」
N君は
「僕らの言うプロはメジャーデビューしてからだと思ってます。」

すかさず灰皿をどこかへぶん投げるPAさん…今日は殺気立ってるな…
N君は
「毎月6万円(2100円×30枚)のノルマを払わされている。今の時点ではこっちが客だ。ダメならハコ変えます。」

PAさんは
「じゃわかりました3か月後チケット100枚売って、またEのステージ空けて待ってるんで…」

苦虫を噛みつぶしたような顔で去っていく。
来月からはブッキングはないので事務所で社長の説教を聞く事もなく、

とにかく野外ライブの準備に入った。
無料テープを作って、ダイレクトメールの郵送をアンケートから住所を拾って。

当時はまだPCなんかメジャーではなくて企業が使うものだったので僕達はルーズリーフに書いてあるファンの情報やチケット販売の実績過去のライブのセットリストに動員数全てそこに情報が詰まっていた。
セットリストとは曲順表の事で曲順を細かく変える事で動員にどういう影響ががあるかを徹底的にデータ化した。

当時は毎週土日に名古屋栄のもちの木広場でフリーライブが行われていた。
大体出演バンドは10組ほど早いもん順でブッキングが決まる。
N君はすかさず連絡入れてブッキングを間違いなく取っていた。
今思えば感謝しかない。
3か月後に100枚売ると言い切って行うフリーライブ。

まさにそこは戦場だった。
ベテランバンド勢の固有のファンしかり、通りがかりの人含め全ての人にチケットを買ってもらえるチャンスがある訳だ。
お客さんの取り合い。
<対バン>
この言葉は僕らの出ていた名古屋大須のライブハウスEの社長が使いだしたのだ。

僕達にとっては何百回の中の1回のライブだけど初見さんにとってはその1回が僕達の全て。
命を懸けて全力でやるしかない。
やってやる。
静かな情熱が僕とN君とYを燃やした。

確か3か月後のライブまでは土日の2日×4週で月に8回のライブ。
8回のライブ×3か月で24回のライブそれ以外にもイベントがあれば出演した。

約30回のLIVEを行う間にファンを100人作る。
持ち曲が足りない。曲を増やそう。
ステージングの勉強の為にベテランバンドを研究。

自分達の演奏が終わればすぐに持ち場へ行きアンケートと無料テープの配布を行った。
最初はアンケートも無料テープも思うようにもらってくれなかった。
それが一番悔しかった…無料でも貰ってくれないのか…

落ち込んでる暇はないとにかくライブとアンケートと無料テープの配布を徹底して行った段々と貰ってくれる人の数も増えた。

そしてとうとう3か月が過ぎてLIVEハウスEでのブッキングライブ。
100枚には届かなかったが一番最後のEでのライブの10倍以上のお客さんを会場に呼び込んだ。
当日のライブはモッシュの嵐!!

これが本当のLIVEだと実感した。
まだまだ先はあるがこの動員を減らさないように、とにかくイベントや野外ライブは欠かさぬように出演した。

ライブハウスEのチャージバックは6桁になりそこから練習スタジオのお金とイベント出演のチャージを支払っていた。

N君と夢をいつもLIVEに向かう車で話し合っていた。

いつかチャージ払わなくても良くて逆にギャラがもらえるLIVEしたいよね。
って同じ話を100回はした。
動員も伸び続け、TVやラジオや雑誌などメディアにも取り上げられる事が多くなった。
そしてその年Eで単独で最も動員のあったバンドに選ばれる事になった。
事実上名古屋のテッペンに立ったのだ。

CDリリースもワンマンと東京渋谷のオンエアネクストでリリースイベントも行わせてもらった。

そこで僕の感情に変化の起こる事が見れた。
渋谷にいった時に感じた名古屋にはない違和感。
女子高生?ブレザーを着た女の子がおっさんと道玄坂の裏通りにあるホテルに消えていく。
と思えばホテルからおっさんと出て来た女子校生?がチーマー風の男達にお金を渡している。

初めて見てしまった日本の裏側。
こりゃ音楽で世界をかえにゃならん!!

これが後に凶器を楽器持ち替えよう運動の始まりとなっていくのです。

次回最終回
凶器を楽器に持ち替えようファイナル!!
です。
ご完読ありがとうございました!!

凶器を楽器に持ち替えよう運動 その15

今回はバンドを組んでみたけれど…
をテーマに書いていきます。


はかせコバルト>です。
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名古屋のメジャーへの登竜門と言われているLIVEハウスのEでレギュラーを務めさせていただくことになりましたが、
とにかくドラムマシンじゃなくてサポートでもいいからドラムを入れてバンドという形にしなさい。
と社長から早速の注文が入ります。

僕達は悩み悩んでPUNKバンドで地元で人気のS君を誘ってみました。
M君は
「やった!!1回あそこのハコで叩いてみたかった!!」
かえって喜ばれる事態にメンバーはこのままサポートじゃなくて正式メンバーになってくれいかな?
と、さらっと言ってみましたが、
「俺のやりたい事は今のバンドでやってる事だから、サポートならやりたい」
の一点張りでした。
何回か練習をしてアレンジを固めようとするのですが、
「俺は感性で叩くからT 君はそれに合わせてきて!!」
…めっちゃ一流ドラマーの発言やないかい!!

メンバーは口があんぐり開いてしまいました。
確かにS君のバンドは毎回ライブハウスを満員にしてしまう位の動員があってお客さんが<箸が転んでも笑う>状態を作っていました。

しかし実際に練習してみるとなかなかの粗さにドラムマシンでずっとやってきた僕達はてんてこ舞いでした…

暗黙の了解でこの1回限りのサポートで…という事はメンバー全員で納得しました。
やっぱりジャンルを超えてしまうと異次元の世界が見えるというのか、どこでどんなオカズを入れてくるかくるか分からないS君のドラムは今思えばサイケデリックな世界を作りたかったのかなぁ?
と考えています。

練習が終わって話す時も演奏って龍みたいなイメージで常にうねってないとブギーしないじゃんね??
となかなかの異次元な会話になりついていくのもやっとでしたが、S君は今も豊橋のライブハウスに新たにバンドを作りとうとう自分の悟りを開いたのか彼にしか叩けないドラムをたたいています。
最高にかっこいいです。

その当時の僕らは何かに縛られるように…
例えばクリックでリズムをしっかりとってカラオケのような演奏でVoに歌いやすいオケを提供するという気持ちでした。

楽しめていなかったと言えばいいのか、どうすれば社長に喜んでもらえるのか思考の方向が間違っていました。
本当はどうすればお客さんが楽しかったと思って帰ってくれるか、その中でどれだけ自分達のエネルギーを好きなように燃やせるかが見なければならない方向性だったと思います。

そうしてS君のサポートしてくれるライブの日が来ました。
リハが終わるとS君がビールをメンバー分買ってきてくれて、
「結局はノリと勢いで突っ走るしかないじゃん!!」
と初めてライブ前にビールを飲みました。
緊張のせいもあるのか360ml缶1本でかなり酔っ払ってしましました。

そして本番を迎えました。
ステージに立つと客席がグルグル回っています。
記憶にあるのは
「あれ?ギターが上手に弾けない…」
とうとう最後までギターのフレーズを間違えまくってとてもライブ本番とは言えない状態の身体でギターを弾き終えました。

その時見たステージの上から見たお客さんは10人程しかいなくて誰もが退屈をしていたライブでした。

ステージが終わり毎回反省会をハコの中でするのですが、
担当のPAさんに
「今日どうしちゃったの?ドラムの子は?あの子に物凄く言いたいことがあるんだけど…」
静かな怒りを感じ取りました。
ただ一人だけ喉の調子が狂うといけないからとビールを飲まなっかったN君が
「この子達、ドラムの子の友達でビール飲むと楽しくなるよって言われてビール飲んでステージに立ったんですよ…」
とすかさず担当のSさんに
「レギュラー決まって3回目のライブで酒飲んでステージに立つなんて10年早いわ!!」
と怒涛の如く説教されました。

とにかく今日のライブは無かったことにして次回ドラムを変えるかドラムマシンに戻すかしてもう1回やり直そう。
と社長にも怒られましたがやり直すチャンスをもらいました。
バンドって難しい…バンドってなんだ?
僕は起きて仕事ををしている時も何をやる時も常にこの事を考えていました。
バンドを組んだけれども…否定されて…これからどうすれば良いの?

…ある時、脳みそがシャキーンと音を立てたように僕に最高のアイデアを引き寄せてくれました。

無料の野外ライブに出てライブを見てもらってからチケットを売ればいいじゃん!!
早速N君にアイデアを伝えました。

次回は…N君とはかせ覚醒する!!
をテーマに書きます。
ご完読ありがとうございました。


凶器を楽器に持ち替えよう運動 その14

今回は…名古屋の壁…をテーマに書いていきます!!
はかせコバルト>です。
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さてLIVEハウスのレギュラー審査の結果、粗削りだけど伸びしろがある。
N君のシンガーソングライターとしての腕も買われました。
しかし演奏人には厳しい評価が…
T市ではその演奏とアレンジで通用したかもしれないけど、はっきりいって今回の採用はN君の歌声と曲で合格とします。
とはっきり言われました。

しかし僕らは何を勘違いしていたのかその場でこのライブハウスに出るのは東京進出への足掛かりとして考えているので、そんなに長く出るつもりもありません。

と何故か喧嘩腰になってしまいました。
たぶん演奏面を否定された悔しさから苦し紛れに出た言葉です。

担当者も笑いながら
今の時代何処でやっても変わらないからホームは名古屋にして東京、大阪をまずは攻めてみたら?
とアドバイスをされ、まんまとライブハウス側の言い分に乗せられてしまいました。

そして取り敢えずその日はお酒抜きの打ち上げをして、それぞれ感想を言い合いました。
やっぱりステージに立って認めてもらうには心の底からクリーンな生き方と、お客さんに対しての対応をしっかりする事。

演奏面では当時のドラムのH君とVoのN君が高校の時からの同級生というのみでバンドをやっていてN君が求めているドラムの技術にはとうてい及んでいませんでした。

ライブをやった後にライブハウスの担当に言われたことは、
「ドラムがはっきり言ってド素人。」
これが本日のピークでした。
なんとN君が打ち上げの後僕に電話をしてきて、
「俺がHを辞めさせるから2人でバンドやろう。」
と言われました。

N君に認めてもらった優越感から何も考えずH君の処遇は任せてしまいました。
後からH君にこれでもかっていう位怒られました。
「何で一緒にメジャー目指すって言ったのにNを止めなかったの?裏切り行為だね。」
と言われましたが誰に何と言われようと僕たちはメジャーデビューをするという目標一点に絞った活動をしていく事になります。
当時は…
初めてのレギュラーライブはシーケンサーを使ってドラムマシンとキーボードとピアノを入れたアレンジで少しPUNKっぽくアレンジをしました。

それが僕たちは知らなかったのですが
カーターUSAというバンドに似ていて新しいね!!
と褒められました。

しかしN君が慣れないベースを弾きながら歌う体制は僕たちにとっては武器であるN君の歌声に支障が出ると判断して、遊びでやっていたパーマネントのバンドの後輩ベースのY君を誘ってみました。

耳コピが出来る子なので直ぐに曲も覚えてくれて次のライブも取り敢えず助っ人として参加してくれる事になりました。

そしてそのライブでライブハウスのあの怖い社長が一言ヒントをくれました。
あとは君たちはドラムを助っ人でもいいからとにかくBANDを作りなさい。と言われました。
今のドラムマシンを新しいパートだと考えてドラムとシンクロさせてはどうか?
と言われたのですが僕達には全然理解できないレベルの話でした。

当時東京でドラゴンアッシュというバンドが旋風を巻き起こしているという噂を聴きました。
しかもVoは俳優の息子だと…
ライブハウスの社長はこのバンドがデジタルとアナログを融合させているとドラゴンアッシュが活動しているライブハウスから情報をもらい既に鑑賞済みだったのです。

それを理解できていない僕達のグダグダっぷりがここから発揮されます…
次回は、バンドを作ってみたけれど…
をテーマに書かせてもらいます!!

ご完読ありがとうございました!!