凶器を楽器に持ち替えよう運動 その8

名古屋ダイヤモンドホールにてティーンズのセミファイナルを通過した僕達は、次は全国大会という所まで来ました。
次第にメンバーのモチベーションも上がり始めとにかくハイブリッドに行こうと決めました。
他のバンドは何かをアレンジにプラスしていて正直
「それいらないんじゃない??」
と思ってしまうアレンジの曲が多々あり、その当時からメモ魔だった僕は1バンドずつ良かったアレンジ悪かったアレンジなどの分析を書いてA4の紙に書きだしてメンバーと話し合いました。
今思えばライティングもしていたんですね(/ω\)

やっぱりメンバーのひとつの意志として思い切って捨てる所は捨てようと、名付けて
<捨てアレ大会>をしました。

まずは1曲そのままのアレンジで演奏します。
例えばドラムがオカズといってタム類を無駄に叩いていたらそこをシンバル1発にしてみよう。
そしてその前後の小節を演奏してみます。
それよりギターをかき鳴らすよりジャーンと1回かましたほうが良くない?
ドラム前に戻そう!!
と今思えば途方もない作業を1曲に向けてしていました。
正解は答えなんかないのです。
自分達で見つけるしか!!
ここで初めて皆の心が一つになりました。

色々なバンドを参考に聴きました。
僕は基本に戻ろうという事でビートルズストーンズを聞きました。
ストーンズは早い段階で参考バンドから外れました。

ビートルズHey JudeとLet it beを最終形態としたアレンジに持って行く事にしました。
自分達でコンテストの審査委員になったつもりで自分達だったらどこを見るかという事もしました。
録音した曲を聴いてとにかく原稿用紙400文字感想を書く。

そうするとある事に行きつきました。
ギターバンドを僕は目指していました。
ギターバンドとはギターがアレンジの中核を握るバンドなのですが、ギターが自由に動き回るにはベースのアレンジとドラムアレンジが要になってくる事に気付きました。
なので極力リズムという言葉を頭に置きあらたなアルペジオアレンジを考えました。
アルペジオとはギターのコードを抑えて各弦をバラバラに弾く事です。

そうしたら見事にハマりました。
メンバーには内緒にしてあります。
弦を弾く順番を2か所変えただけでしたがこれでもかという位、素敵な曲に仕上がりました。

これ以上やると今度はアレンジを足したくなってくると思った僕はリーダーとしてアレンジは以上。
あとは以下に演奏面でアピールする事が出来るかを考えました。

結論は顔で弾け!!顔で叩け!!でした。
ギターのここ聴いてって場所で顔を思いっきりくしゃくしゃに気持ちよく感じてるような顔にする事を提案しました。
そうすれば自然と身体も動くので振り付けみたいなクソダンスをつける必要はないと実行してみてメンバーを説得する事になりました。

これ以上ない名曲感をもってファイナル大会に挑むことになります!!
次回はファイナル大会の結果とその後のバンド活動を書きます!!

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凶器を楽器に持ち替えよう運動 その7

ダイヤモンドホールにてティーンズミュージックフェスバル(以下ティーンズと表記)のセミファイナルが行われ開会式も終わり後は本番を待つだけとなりました。
このティーンズのセミファイナルは自分のバンド人生において、ギターを弾き続けるか辞めてしまうかの最大の岐路だったと思っています。
その為このセミファイナルの章は少し長くなっていますがご容赦ください。

最初のバンドからいきなりテンション爆上げで超盛り上がりました。
それで僕達のバンドのテンションも一気に上がり何故か他のバンドの皆さんに交じって何度も円陣を組んでこのセミファイナル自体を盛り上げようと出演者一体になりました。
その時にまだ演奏もしていないのに感動して泣きそうでした。

そうなんだよ!!
バンド始めた時の頃から感じていた何かをここで掴んだのです。
ビートルズと一緒の気持ちなんだ!!
お客さんに良い楽曲と良い演奏をパフォーマンスを見てもらえるのが一番のやりがいで、喜びだったという事に他の出演バンドのメンバーさんから言葉ではなく行動で教えてもらいました。

そして今を、この一瞬を全力で生きてるという実感から生まれて今までの事が走馬灯のように頭によぎりました。
家族への感謝、友達への感謝、そして興味に来ていただいているお客さまへの感謝がとめども無くあふれ演奏前から号泣していました。

その点ドラムのM君は小学生の頃からの同級生でマーチングバンド部で全国大会に出場したこともある猛者なのでリラックス方法を教えてくれました。
ただイメージ―する…
演奏している場面…演奏が上手くいって観客に手を挙げて応えている場面…ひたすらそれをイメージするようにアドバイスをもらいました。
それからメンバーは演奏が来るまでただひたすら目を閉じてイメージしました。

そして出番がやってきました。
もうイメージどうりの世界でした。
会場の音も聞こえてこないひたすらに演奏に集中して観客をみて身体を動かす。
そして気付いたころには演奏も終わりMCのお姉さんとお話をしていました。

目標としていく音楽は?
との問いにバンドのリーダーとして60年代~70年代の古き良き音楽を90年代のロックなりポップスなりの音楽に再構築していきたい。
MCのお姉さんは
「という事はミスチルや、スピッツのような世界観のあるジャンルですね」
となかなか的外れな事を言ってくれたのですが、他のメンバーがそれを誉め言葉だと勘違いしてくれて今後のバンド運営に大きな溝が出来たのもこの瞬間でした。

結果は見事セミファイナルも突破して今度は愛知県ファイナルに進む事になりました。
僕の中ではここまで勝ち進めただけでも最大の喜びでしたが、更に大きな評価をいただいた事により、頭をぶん殴られた様な衝撃が走りました。

まだまだこんなもんじゃない!!
ここまで来たら全国大会出場だ!!
とかなりの興奮状態で家路に着きました。

次回はファイナルに向けての葛藤。
本格的なライブ活動に入る。
を書いていきます。

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凶器を楽器に持ち替えよう運動 その6

さて前回の続きです。
色々な課題が降りかかってきたセミファイナルまでの道のりですが、当日を迎える事になりました。
ダイヤモンドホールのリハの時間までは時間があったので僕の地元の楽器屋さんで練習をする事になりました。
1曲勝負だってのでひたすらその1曲をクリック(メトロノーム)に合わせて練習していました。
最終形態はドラムにベースは合わせギターは歌に合わせ歌はベースの音をしっかり聴いて音程をキープするというギリギリにまで余計な事を削り落としたアレンジにしました。
最後にフェードアウトっぽく終わらせて再びフェードインをするという事をPAさんに頼るのではなく自分たちで行うのでPAさんにもあらかじめアレンジが変わったのでテレコで録音した音源を送ってフェードアウトしても進行は終わらせないで欲しいとお願いをしました。
本来ならばアウトなことかもしれませんがYAMAHAの担当の方に連絡を取った所、そっちのほうが分かりやすいからスタジオ音源で良いので送って欲しいと言われました。
さてスタジオ練習も終わりダイヤモンドホールに向かう事にしました。
電車の中では皆もう無言。
緊張しまくっていました。僕も喉が冬なのにカラカラに乾いてアクエリアスを1リットル程会場に着くまでは飲んでいました。
もうそのおかげで会場に着いてからトイレに行きたくて何度も往復する事になって、ドラマや漫画を見ているみたいになって凄く自分が自分を客観視できるようになっていました。
衣装も基本的には変えませんでしたが何故か<サイバー>というワードにハマってしまいその頃流行っていた、キャットアイだとかいう形の黄色のレンズのサングラスをかけていました。
普段僕は眼鏡をかけているのですがその上からサングラスをするというW眼鏡構造で出る事にしました。
メンバーからは落ちたらそれはそれで美味しいと行くことになり作戦はせいこうしました。
リハも滞りなく終わり後は本番を待つだけとういう状態になりました。
僕達はまだ16歳になったばかりで、周りの子達は20歳前の人達ばかりで年れマウントを取られたり、どこのライブハウスでやってんの?
とか聞かれたりりました。
おどおどしながら答えてると、いつも行っている楽器屋さんのお兄さんが来ているではありませんか!!
「どうしたんですか??」
と聞くと
「僕たちのバンドも準優勝だから出れたんだよ!!」
と教えてくれて凄く安心しました。

そしてとうとう本番!!
開会式が行われ出演バンドが呼ばれたらプラカードを持って会場へ行くという事でした。出演順とは逆に呼ばれるとの事だったのでテーマはク―ルに行こう!!
と言うことで1回この会場で優勝した事のあるテイで行こうと、要するに演じて行こうと決めて会場に出る事にしました。

見事成功!!
何とか存在感を見せて演奏を待つことにしました。
さぁ本番がやってきました!!
演奏はどうなったのか?
結果はどうなったのか?
続きは明日!!

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凶器を楽器に持ち替えよう運動 その5

さて前回は楽器店予選を通過した僕たちのバンドですがここで一波乱が起こります。
YAMAHAティーンズミュージックフェスの広報の方から自宅に電話があり予選の様子をラジオで流して良いかという許可を得る電話と、楽曲のセンスが他の予選会場の優勝バンドと比べても秀でているという素敵な評価をいただきました。
その中でY君の作った曲をダイヤモンドホールで行うセミファイナルで演奏してはどうか?
という提案をいただきバンドで話し合って決めさせてもらいます。
と返事をさせてもらいました。
今度はYAMAHAさんの音楽出版の方に電話相手が変わりアレンジなどのアドバイスを受けます。

当時はシャ乱Qがインディーズから破竹の勢いでメジャーシーンでCDの売り上げを伸ばしていたので僕が思うにその二番煎じ的なバンドを作ろうと思っていたようで、
もう少しダンサブルな感じで、振り付けも付けちゃおう!!
みたいなホントに軽いノリで言われたのでガキだと思って舐められてると思い、バンドのメンバーにはその提案を伝えますが振り付けとかは…
と話すと慌てたように、
ちょっと言ってみただけだからね!!
誰かプロモーターさんとか付いてる?
と聞かれたのでそれも誰かの力で優勝したみたいな言い方をされたので、
全楽曲自分達で作曲して衣装もモッズ系にしたのも自分たちのアイデアです。
と伝えました。

僕達はモッズファッションに影響されてスーツをヤンチャに着こなす為にモッズ専門のショップでアドバイスをもらったり来てみたら良い音楽などを教えてもらいました。

当時教えていただいてカッコいいなと思ったバンドは、
The JAM というU.Kのバンドでした。
IN THE CITY という曲が物凄くかっこよくて影響されて曲を作ったのですがバンドのメンバーからすぐにオマージュを超えてパクリになってる。
と指摘を受けて没にしたのも良い思い出です。

そしてバンド練習の日にYAMAHAのお二方から言われた事をそのままメンバーに伝えました。
振り付けについて僕はありえないと思っていたのですが、ほかのメンバーはBSヤングバトルというコンテストに出ていたシャ乱Qがぶっちぎりで優勝する姿を見て完全に影響されていました。

僕はパニックになり、
ちょい何でロックやるのにミュージカルみたいに振り付け付けるの?
凄いダサい!!
と言ったのですが、
でも振り付けとか付けて売れてるって事はやってみる価値はあるんじゃないの?
とドラムのM君にピシャリ!!と言われて言い返す言葉が無くなっていました。

とにかくセミファイナルに向けてY君の曲を再アレンジする事になりました。
コンテストで優勝した事でメンバーそれぞれに自我が芽生えていました。
とても良い事だと思ったのですが僕は1時間以上も電車に乗って練習に行かなければならないような所に住んでいて、ほかの3人は近所にすんでいました。
何もかもが事後報告になっていました。
僕が練習に行くとある程度アレンジまとたからこんな感じでギター弾いてと言われ喧嘩になりました。

「俺はスタジオミュージシャンでも雇われのギターリストでもないぞ!!
自分の考えたアレンジをまずは聴いて欲しい」
と言いますが弾いたアレンジは全て何か聴いた事あるって感じでパクリだと思われるよ?
と何度も却下されました。
…そうなんです。
The Jamのin the cityに影響されて作った曲から全て作っていく曲はパクリ認定されて行く事になり、この事が原因で段々とこのバンドから心が離れていく原因となります。

とにかくセミファイナルは僕以外のメンバーが考えたアレンジで挑むことになりました。
振り付けは何とか最小限で手を決まった所で上げる事だけを約束してもらいとうとうセミファイナル当日がやってまいります。

はたして僕たちのバンドの運命は??
メンバーとの絆は復活するのか?
次回をお楽しみください!!

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凶器を楽器に持ち替えよう運動 その4

では前回の続きです。
海外ではニルバーナの時代が終わりアメリカのグリーンディが台頭しメロコアブームに火が付き、西海岸のスケーター文化が更に巨大化してミクスチャーロックなどがそれぞれブームになっていました。
その中でも特異だったのが、
ハードコアのナパームデス(高速ハードコア)
ドーゥムメタルのカテドラル(超低速ハードコア)
ジャンル不明のアナルカントというバンドもCDを取り寄せて聴いていました。

さて自分たちのバンドですが12月に僕の地元の楽器屋さんで
YAMAHA主催の「ティーンズミュージックフェスティバル」という10代限定のコンテストがある事を知りまずは音楽業界にコネを作ろうという戦略で出演応募しました。
見事テープ審査を勝ち取り出演が決まりました。
そしてオリジナル3曲を持ち寄りLIVE審査を行い優勝したら、名古屋の有名なライブハウスのダイヤモンドホールセミファイナルの出演権をもらえるというものでした。
転校して愛知県でも有名なお寺の町から、自動車の町へ来た時は中学校で転校というだけでイジメを受けましたがこのコンテストに今までの人生全てを掛ける事にしました。

優勝してイジメた奴らを見返してやる。

中学3年生の時にバルセロナオリンピックで同い年の岩崎恭子さんが水泳で金メダルを取りました。
その時に、
「今まで生きてきた中で一番幸せです」
とインタビューで話した時に感動しました。
大人たちはまだ14年しか生きていないのにとあざ笑いました。
ですが人生を語るのに年齢は関係ないと思っています。
例えば今僕は40歳を超えましたが、オリンピックに出て世界で戦える実績を持った競技はありません。
しかし当時14歳の岩崎恭子さんは世界で戦える実績をもった水泳の平泳ぎという競技を得意としていました。
生まれもって速く泳げるコツを持っていたのかも知れません。
しかし世界で戦うという事は並大抵の努力と根性では叶わないと思うのです。
この言葉をあざ笑った大人の同調圧力に負けて成績不振に陥った岩崎恭子さんの姿を見て、大人達って汚い存在だと思うようになりました。

そして僕は「今まで生きてきた中で一番幸せです」と言う為に、バンド練習を頑張り引っ張りました。

そしてコンテスト当日。
お寺の町の同級生が電車に乗って応援しに来てくれました。
その中に僕の好きな人がいました。
お互い別々の小学校から同じ中学校に入り、初めてのオリエンテーションという泊りの合宿で話すようになり壁を一切作る事もなく接してくれた女の子が観に来てくれてテンションが上がりまくりました。

自信をもって仕上げた3曲を全力で演奏しました。
その結果。
優勝しました!!

初めてのLIVEで、初めてのオリジナル、曲初めてのコンテストで優勝をかっさらってきました!!
急いで皆で僕の家に帰り優勝を祝いコーラで乾杯をしました。

もういじめに遭った事とかどうでもよくて、とにかく今この瞬間を楽しんだ奴が輝ける事をLIVE会場にいた皆、応援しに来てくれた仲間に知ってもらう事が出来ました。

その日の夜は嬉しくて一人ギターを弾きながらダイアモンドホールでの勝負の曲をどれにするかを決めていました。
勝負はまだまだ続くので気は抜きませんでした。

続く…
果たしてダイアモンドホールでのセミファイナルの結果はどの曲を選んだのか?
お楽しみに!!

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凶器を楽器に持ち替えよう運動 その3

前回は暴走族を脱退した同級生からの電話。
「バンド組もうよ!!」
約束をすっかり忘れていた僕なのであります。

その電話があった後すぐにXjapanのコピーバンドをやっている同級生に
コピーバンドじゃなくて、オリジナル曲を作って新しいバンドをやる」
と電話をかけて脱退を告げました。
この時にあまりにも突然の出来事に他のメンバーに怒られました。
ですが個人情報を晒さないギリギリの表現で事の経緯を説明して理解してもらえました。

「暴走族抜けてバンドやって更生したいと言っている友達の手助けをしたい。音楽がみんなを平和にする証をみせるから〇〇君のバンドもこのまま続けて一緒にライブしよまい」
そう言ったのを覚えている。
殴られるかなと思いましたが、
「はかせがやりたい音楽を聞かせて欲しいから最初のライブはこっちでやって」
とありがたい言葉をもらって円満脱退しました。

そしてオリジナルバンドをいざ組むことになりました。
すでにM君(暴走族を脱退した友人をこれからこう呼びます)は、
僕がギター、Y君をヴォーカル、D君をベースにM君はドラムという布陣を作ってくれていました。
Y君もM君も曲を作ることが出来たので僕も初めてのオリジナル曲をM君の家で録音しました。

3コードにAメロとサビにCメロと簡単な作りでした。
ビートルズの「Love me do」という曲のオマージュとしてメロディから作りました。

それから作詞作曲の面白さに取りつかれひたすら曲を作り詩を書き続けました。
当時影響を受けたのはジョンレノンの「イマジン」や
ビートルズの「Let it be」のような聖書に出てくるようなシンプルな言葉に美しいメロディを乗せる事を意識して曲を書きました。

谷川俊太郎さんの詩集を読みあさり、
ビートルズとジョンレノンのソロになってからの曲の詩を読んでは似たような言葉を選び詩を構築していきました。

`60s~`70sの時代のロックミュージックの再構築をテーマに僕は曲を書きました。
Y君はミスチルが好きだったのでその影響を。
M君はザ・ブームが好きだったのでその影響を受けた曲を書いて次々にアレンジをかけて仕上げていきました。

その時は16歳皆高校1年生でした。
その時の音楽の時代背景は邦楽はミスチルスピッツ小沢健二コーネリアスといった渋谷系が流行り出していました。
僕が影響を受けた日本人ギタリストの車谷浩司氏はSPIRAL LIFEというユニットを石田ショーキチ氏と組み活動を始めていました3枚目のアルバムが出た頃だと思います。
外国では中3の冬、カートコバーンが頭を銃で撃ちぬいて自殺するというセンセーショナルな事件が起こりました。
当時バンドやろうぜ!!という雑誌とプレイヤーという雑誌を購読していてニルバーナというバンドにカートコバーンがいるのを知っていましたが何となくこの人自殺するなと虫の知らせみたいなものをインタビュー記事を読みながら感じていました。
しばらくはニルバーナロスが続きましたが、
アメリカのグリーンデイが「ドゥーキー」というアルバムを引っ提げてバスケットケースというとてもアッパーな明るい曲を出し、ニルバーナのセールス記録を破り、一気にメロコアブームがやってきます。
その頃から日本のハイスタやブラフマンというバンドの存在を知る事になり以後の作曲生活に大きな影響を受ける事になります。
続く…

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凶器を楽器に持ち替えよう運動 連載02回目

転校先で気の合った友達とは高校生になってからも付き合いは続いていた。
ある日行きつけの楽器屋さんでアルバイトでもないのに売り物のギターを綺麗に拭いていた時に、地元の友達が
「はかせって今バンドやってる?」
と聞かれて
「やってないよ探してるけど」
友達は満面の笑顔で
「今同じ高校の子たちとXのコピーバンドやってるから一緒にやらない?」
「う~んXか~。もっとパンクなバンドがやりたいもんねぇ」
と僕が言うと友達は
「次のバンドが見つかるまでのヘルプでいいから、毎回女の子をもう一人のギターの子が連れてくるんだよ!!」
速攻返事をした。
「次のバンドが決まるまでお願いします!!」
早速どの曲をコピーしているか聴いて楽譜とCDを買い、
ひたすら練習の日々となった。
一緒にスタジオに入るのは2週間後だった。
ヴァンヘイレンの曲を一通り弾ける僕にとってはXの曲は、早弾きの16音符が多いけど弾けるのに1週間もかからなかった。
ただもう一人のギターがいるというので負けてたまるかと思い、
「この曲もやりたいんだけど」
と言いたいが為に1っ曲多く覚えてみたりもした。

当時はHIDEがソロ活動を本格的に始めだした頃でHIDEの曲もやりたいと思い、楽譜とCDを買ってまたまた弾き込んで4曲くらいしかなかったそのバンドのレパートリーを10曲位一気に増やしてしまう荒業を要求したのだが、
メンバーのモチベーションが良く見事についてきてくれて、
来てくれる女の子にリクエストまでしてもらえるようになった。

…なのだが一つだけとても重要な欠点があった。
ヴォーカルがいない!!
とうまさかの展開にとにかくバンドの顔なんだから、イケメンかチャラくて歌が上手い奴を条件に探していたのだがホントにクソみたいなヴォーカルしかいなくて僕は何となくそのバンドに飽きてきてしまった。

そして夏休みが終わる10日くらい前に電話が僕宛てにかかってきた。
電話に出ると、
「はかせ!!俺だけど!!」
相手は数週間前暴走族を辞めるだ辞めないだで僕に相談をしてきた友達だった。
「はかせ、もう暴走族も抜けて警察にも抜けた事を言いに行って何にもしがらみが無くなったよ!!ありがとうね!!」
僕も嬉しくなって、
「良かったじゃん!!おめでとう!!高校は辞めちゃいかんよ!!」
と言うと
「辞めるわけないじゃん!!はかせこの前約束しとったバンド組もうよ!!」
僕はビックリしてしまっていた。
すっかりその約束の事を忘れてしまっていたのだ。

続く…

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