介護職員になったきっかけ

はかせコバルトです。
Twitterやっています。
フォローしていただけると喜びます。

僕が介護職になったきっかけは、リーマンショックでした。
それまでは愛知県のメッキ工場で働いていました。
リーマンショック直前は大繁盛期で朝6時から夜中の1時までなんて事がザラにありました。
ブラジル人の人達と働いていたのですがあまりの忙しさに1人抜け2人抜けと人がどんどん辞めて行きました。
日本人の従業員は僕一人なので社長の息子は営業に回り、僕は品質管理兼運転手兼ライン保全とライン作業以外の仕事を全て任せられました。
詳しくは書けないのですが、環境保全の仕事がとても重要で排水を色々な薬剤を使って強アルカリを中和して純水にして外に流さないといけません。
この仕事が2時間おきにあり、ph(ペーハー)試験紙といってアルカリ水と酸性水をこの紙を浸して色を見て合格ラインがでたら川に流すことが出来るのですが中和されにくい時もありその時は仕事の最後の作業で行うのですがこれに時間がかかり帰るのが遅くなってしまうのです。

そんな日々が続く中で僕は自律神経失調症を発症していまいました。
2週間休養との診断書が出て休んでいる間にリーマンショックが起こりました。

2週間後復帰してからは仕事があるのですが製品に関わる仕事は無く、リハビリとしてパートさんの補助で働いていました。
1週間ほど経つと社長に呼ばれ退職を促されました。
そしてどんどん仕事の内容も掃除や窓ガラスを希硫酸で拭き取るなど製品に関わる仕事からは一切干されてしまいました。
先細りの懸念から妻と話合い退職する道を選びました。
その間仕事を探している間に妻との離婚が成立して、自律神経失調症からうつ病へと病名が変わっていきました。

実家に帰り引き続きローンの支払いなどがある為、仕事探しをしていた所母が看護助手をやっている病院の系列施設の老人保健施設(以下老健)に行ってみたら?
と言われ迷っていたのですが、1日経って突然母から電話があり、
「今から面接に来てって。履歴書書いてある?」
「いきなりだなぁ…履歴書書いてないよ。まだ迷ってるのに…」
母は
「とにかく面接だけには行ってよ!!」
と強引に押し切られ、スーツを着て老健に電話をして
「突然の事だったので履歴書がかけていないんですが…」
困惑していると
「とにかく顔が見たいから事故しないように来てね」
と女の人から言われ40分近くかかる老健に面接をしていただきました。

施設長が思いっきり剥げていて施設長の頭ばかり見ていたので、内容はよく覚えていませんでしたがとにかく明日から来て欲しいと言われ採用が決定しました。

僕の介護士人生の始まりです!!
次回は<老人介護おそるべし!!>です!!
ご完読ありがとうございました。