凶器を楽器に持ち替えよう運動 連載01回目

私がギターを買ってもらって音楽をはじめてもうすぐ30年が経ちます。
小学校6年生の秋に同級生にビートルズを教えてもらい、ひたすら聴きまくっていた小学校6年生。
レンタルビデオ屋さんでビデオも借りて動いてるビートルズを見て聴きました。
あのドキドキ感は今でも鮮明に覚えています。

そして楽器屋さんのギターの前で動かなかった僕に両親が見かねて買ってくれたエレキギター
持った瞬間に無敵になれた気がしました。
これでジョンにもポールにもジョージにもなれる!!
BAND組んでビートルズみたいになるんだ!!
と同級生を勧誘しまくってBANDを組みました。

気分はもちろんジョンレノン。
ビートルズと言えば僕の中では圧倒的にジョンレノンに惹かれていました。
解散してからのソロアルバムも中学校1年生の時に全部聴きました。

ビートルズになりたくてもまずはオリジナル曲を作らないと話になりません。

中学校を卒業して高校受験の時に中学の時に組んでたBANDのドラマーと約束して一緒の高校に入って新しいベースとボーカルを見つけようと約束をして同じ高校を受験しました。

二人とも第一志望の学校を滑り…
滑り止めの高校に合格して高校生活が始まったのです。

…高校生活は何というか、
ヤンキー文化の終末期みたいな時代でしたので、
学校に行くとビーバップハイスクールで観たような長ランにボンタン。
髪はリーゼントかアイパーの先輩や同級生の多いこと…

当時はフェミニンブームでソフトパンクというものが流行り出してきていました。
武田真治さんと、いしだ壱成さんがモデルで出てる雑誌は高校の友人と回し読みをしていました。
高校は山の中なのですが地元の子はほとんどおらず都会から滑り止めで入ったヤンキーが多い中でも、
都会の子はいち早くフェミニンブームに乗っかって、
標準ズボンの先を切りボンタンとは逆に
ラッパズボンに仕立て上げ、
髪型はマッシュルームカットみたいな感じの子が多くなってきました。

ドラムの子も見事に音楽よりもファッションにはまってしまい、
いつの日かもう喋らなくもなっていました。

私は高校でBANDを組んで色々なコンテストに出てとにかく音楽業界のコネを少しでも早く作りたいと計画していましたが見事に計画は失敗。
高校に居る意味は無い!!
少しでも多くギターの練習をして曲を作って飯の種にするんだ!!
と勢いで高校を辞め親の仕事を手伝いながらギターの練習に明け暮れていました。

中学校2年生の時に転校をしていたので高校に一緒に行った友達は転校する前の学校の友達でした。
高校にもいかず親の仕事の手伝いをしてお小遣いをもらい全てを音楽の機材に使い親を呆れさせていました。
(今もほぼ変わりませんが(;'∀'))
高校に通っていた同級生とは規模の違う機材を揃えていました。

高校を辞める時には転校する前の友達のほとんどが暴走族に入り人殺し以外のほとんどの悪さをしてる状況だったので、
早くこれは縁を切らねば巻き込まれてしまうと瞬時に察知したので高校を辞めたと同時に連絡も断ちました。

そして家の近くに楽器屋さんがある事を知って入り浸っていました。
その楽器屋さんには高校を卒業したばかりの3コ上のお兄さんが、
ライトミュージック担当として就職しており今聴いてるBANDやお互いに学んだテクニックを披露しあうなどとても良好な関係を築いていました。
楽器屋のお兄さんもギターリストでしたが、既にライブハウスにも出演しながら僕と同じく音楽業界にコネを作ろうと頑張っていました。

<ギターを買って貰ってからの話>
ビートルズが好きだけど初めて買ったCDはヴァンヘイレンのファーストCDという事をお兄さん伝えると、はかせは変態的な感性を持った子供だと言われました。
ヴァンヘイレンのCDを買ったきっかけはギターの教則本にこれだけは聴いておいたほうが良いというBANDのCDを5枚ほど乗せていて、
転校する前に住んでいた所にあった楽器屋さんで、
たまたまジャケットの絵を覚えていたのと、BANDスコア(楽譜)も売っていたので買ったという偶然の産物だったわけですが、
ヴァンヘイレンといえばライトハンド奏法というギターを弾かずにタッピングとプリングオフとトリルという奏法を合わせてキーボードのようにゴキゲンなサウンドを出してくれる技を開発した偉大なギタリストなのです。中学生の頃にはヴァンヘイレンのファーストアルバムの全曲を弾けてしまっていたので、
同級生を超え先輩にまでギターの上手い奴がいるという話が伝わっていました。

中学2年生で転校してからは学校に行く気力を無くして家で暇だったので、
ヴァンヘイレンのCDを聴きまくりスコアを見ながら少しずつ練習していって、いつの間にか全曲弾けるようになっていました。

転校した学校ではB'zやXが流行っており話していても面白くなかったので余計に学校には行きませんでした。

もうすでに僕の読んでいる雑誌にオルタナティブミュージックの情報が入ってきており、ニルバーナやパールジャムといった最先端の洋楽を聴いていたので日本の音楽シーンには興味は全くありませんでした。

その頃からでしょうか今までテクニックを重視していたギター生活に別れを告げてどれだけ
<その瞬間に感情を表現する音を出せるか>
を基準にした練習というよりも自分とギターと精神の中で戦うという表現が最も合っているギターの練習スタイルに変わっていきました。

ギターと対話するという言い方の方が近いかもしれません。
その頃からジミヘンドリックスやエリッククラプトンの組んでいた、
クリームというBANDを聴いてサイケデリックという言葉を使った音の表現方法を知りひたすら聴きまくりました。

ヴァンヘイレンも言っている事なのですが、
一流の楽器奏者はあらゆるジャンルの音楽の一流のリスナーでもある。

後で知った事なのですが正にこの言葉をそのまま生活に当てはめ、
音楽を聴きながらまだ譜面が発売されていないBANDの新譜と曲を聴いて耳で音を覚えてギターの指盤上で探していく、<耳コピ>という技術を覚えました。

そして中学生の頃に読んでいた雑誌<バンドやろうぜ!!>と
<Player>という雑誌からギターリストやバンドマンの思考をインタビュー記事を読んで知り、生き方をマネする。
今の流行りの言葉でいう<アウトプット>をしていました。

そして中学3年生の冬に人生初LIVEを行いました。
ティーンズミュージックフェスティバルというYAMAHAさん主催の10代だけのミュージックコンテストに初参加しました。

曲はベンチャーズBAKUというバンドの、
インディーズ時代の曲を演奏しました。
マヂで全然緊張していて覚えていないのですが感覚だけは覚えています。

<ここが僕の居るべき場所だ>
という感覚です。

まだメンバー全員中学3年生なので高校生や大学生のバンドを観て更に絶対ビッグになってやる!!と心に決めて家に帰ったのを覚えています。

話が高校生と中学生で前後して申し訳ありません…

そして高校生になりバンド活動を頑張ろうとした矢先に起こったのが上記に書いてある事なのです。

…が、

高校を辞めて友達が夏休みの頃に1本の電話が入ります。

「はかせ助けて…」
転校する前の友達で暴走族に入って僕らを勧誘してきた友達からでした。
「シ〇ナー吸ってるのが親にバレて警察と精神病院に連れていかれる…
 今からそっちに行くから匿ってほしい。」

呂律も回らない声で助けを求めてきました。
とは言っても転校してきた所はまぁまぁ遠い場所でしたので、
電車の乗り継ぎ方法と大体の電車賃を教えて到着の連絡が来るのを待ちました。
そして2時間後家の電話が鳴り友達が駅に着いたとの事で原チャリに乗って迎えに行きました。

もうシ〇ナーのにおいが凄くて、来ている服も夏だから良かったようなものの、ほとんど着の身着のまま。
めちゃくちゃ混乱していたのでジュースを一緒に買って飲みながら我が家に向かいました。
家についてまず状況を詳しく聞きました。

本人曰く
・暴走族を抜けようとしているのだがシ〇ナーを買い続けろと言われた。
・暴走族を抜ける時はお金を払わないといけない。
・このまま帰ると親に警察に連れて行くと言われ精神病院に入院させると
 言われて怖くてはかせに連絡してしばらく隠れさせてもらおうとした。

以上の内容でした。
その友達は中学3年生の時に一緒にバンドコンテストに出た事もあったので何気なく、

「暴走族は何があっても辞めな。落ち着いたらバンドやろう。
 ビートルみたいなバンド」

僕に言えるのはそれしかありませんでした。
ただやりたくもない暴走族に入って無駄な高校生活を送るよりは、
一緒にバンドやれたらやってスターになろうよ!!
って感じだった。

友達の家に電話をして今我が家に居る事と、
「疲れちゃって昼寝してるのであと1時間ぐらいしたら電車に乗せるので、
 到着時間頃に駅に迎えに来てくれませんか?それとバンド僕たち組むので
 早い所、暴走族を辞めさせてやってください。」

友達の母親は涙声で
「死んでやるって出て行ったから、心配で心配で…」
とオロオロするばかりでした。

友達も起きてきたので
「親に連絡しといたから。警察にも病院にも行かないって。
 ただ暴走族を辞めるのには全力で協力してくださいって約束もしたから」

友達は不安そうに
「ホントにバンド組もうね。名前も決めよう。」

というので、
ビートルズの出身地のあの有名な港町をバンド名にしようと決めて駅まで送りました。

名残惜しそうにお互い改札の前で私は
「良い報告待ってるね!!」
と言って電車を見送りました。

その数か月後、僕は自分のした約束を忘れて軟派な友達とXjapanのコピーバンドをやっていました。
だってスタジオに毎回違う女の子が観に来るらしくて一発でバンドに入れてもらいましたwww
だってモテたいっていうのがバンドをやる最大のモチベーションでしたから。

…という訳で <凶器を楽器に持ち替えよう運動>
この話かなり長くなりそうなので連載型にします!!

次回をお楽しみに!!
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