凶器を楽器に持ち替えよう運動 その10

長らくブログの投稿できず申し訳ありませんでした。
今回は決定的なバンドメンバーとの溝と凶器を楽器に持ち替えよう運動を考え始めるのです。

バンドメンバーとは衝突の繰り返し。
既にバンドを脱退しようとする気持ちは固まっていました。
テクニカルなミュージシャンズミュージシャンにはなりたくなかったのです。
テクニックよりもより良いメロディをより良い歌詞を僕は求めていました。
16歳の冬、僕は副鼻腔炎を患っておりこの際、扁桃腺とアデノイドを切り取ってしまおうという約束をかかりつけの耳鼻科の先生と行っていました。
それまでは扁桃腺とアデノウイルスが原因の発熱を繰り返しており学校に行っても副鼻腔炎の鼻づまりで集中力も保つことが出来ず物事に対して集中が出来ませんでした。
そしてギターばかり弾いていたので勉強は全く…ダメでした。

2週間入院する事が決まり、以前から決まっていたライブもキャンセルして手術に挑みました。
手術中はもう痛くて痛くて死ぬかと思いました。

その時になんか後悔みたいなものが生まれました。

このまま自分の思ってる事と違う音楽をやり続けるのか?
それとも勇気を出して新たな一歩を踏み出すか?

手術後は姉と婆ちゃんが個室に泊ってくれました。
痛み止めの点滴を2時間おきに換えなくてはならないそうで婆ちゃんと姉が寝ずの番をしてくれていました。


夜中の2時ごろ…「痛いぃぃぃぃ!!!!!」

姉と婆ちゃんの悲鳴が同時に聞こえました。

婆ちゃんがベッドで寝て、姉がサマーベッドみたいなのを借りて寝ていたそうなのですが、婆ちゃんが見事に転落して姉の鼻の上に落下。
姉の鼻から大量に出血が…

看護婦さんがベテランの方だったので直ぐに姉の鼻が折れていないかチェックをしてくれました。
ひびかな??
折れてるような感じではないね!!

婆ちゃんは笑い転げている、姉も笑い泣き。
看護婦さんも
「こんな事30年近く看護婦やって来てるけど初めて!!」
と完全に笑いのツボに入ったのか夜中の2時に個室で3人で大笑いをしていました。
僕はまだ鼻の手術が終わったばかりで笑うと滅茶苦茶痛いので笑う事も出来ず涙を流して様子を聴いていました。

そうだよな…最後は自分が笑えるかどうかなんだよな!!

そう決心をした僕は3日後に喋れるようになったのでDrのM君に電話をしました。
バンド辞めようと思う。
ゴメン前から思ってたんだけどやりたい音楽じゃないし同じ方向に考える事ができなくなった。
としっかり過去形をつけて話しました。

「手術したばっかりだもんで気持ちが高ぶってるよね」
といなされ退院してからもう一度話し合う事になりました。

退院してからもう一度同じ事を伝えました。
しかし抜けるという事に賛同してくれません。

お互い気持ちは同じなのです。

彼らは新しいギターリスト見つけられるだろうか?
僕は新しいバンドメンバーをどういうふうにみつけるか?

彼らは僕がそのまま残りまぐれの一発が当たる様にコンテストに出まくってメジャーデビューがしたい。

僕はメジャーデビューよりも自分がやっていて楽しいと思える音楽とバンドをやって行きたい。

数々のバンドが解散する時に、
<方向性の違い> <音楽性の違い>
という言葉を使っていたがこの時初めて理解できた。

バンドを辞める時っていうのは、それまでの縁も切るつもりでかかって行かないと辞めれないのもそこで学んだ。

色々とあったが半ば強引に辞める事が出来たので良しとしよう。
機材をなぜか全部持って来いと言われたので自分の金で買ったやつだし…と言ったのですがバンドサウンドがこのマルチエフェクターとワウペダルに詰まってるとか言い出したので面倒くさいので郵送して全ての事を断ち切って次のラウンドへ進む事にしました。

バンド解散の時は金で揉めるという事もこの事で知ったのでした。

次のラウンドへ向かう時にある事件が地元で起こりました。
ティーンズの地区予選会場になっていた行きつけの楽器屋でティーンズのイベントの時にPANKvsビジュアル系の大喧嘩があった事を知るのでした。
僕が解散の手続きを色々している間に住んでる街でとんでもないことが起こってしまっていたのです。

この事件を機に


凶器を楽器に持ち替えよう運動

を始めるしかないと思い行動に移し始めました。

ご完読ありがとうございました。

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