凶器を楽器に持ち替えよう運動 その11
長らく時間が空いてしまいました。
申し訳ありません。
<はかせコバルト>です。
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ここからの内容は自分でもトラウマな内容の為、フラッシュバックを起こさないように一度紙に内容を書いてからの投稿となりましたのでお許しください。
それでは前回の続きからです。
地元の楽器屋で行われていたコンテストで暴動がありました。
それを聞いた僕はある事を思いつきます。
凶器を楽器に持ち替えよう
そのキャッチフレーズはすぐに僕の脳みそに降りてきました。
当時、真心ブラザーズの<拝啓、ジョンレノン>という曲に感化されていた僕はバカな平和主義者になろうとしました。
馬鹿でも良い。
良質な音楽を届ける。
それが例えばハードコアパンクでもビジュアル系の曲でも。
みんなが楽器を持ってバンド組んでライブやって平和を音楽で届けようぜ!!
なんてちょっとイカした考えを持っていました。
そしてもしかして総理大臣になったら小学校から音楽理論とリズムとハーモニー(和音)の勉強を取り入れて小学校1年間に1曲作曲するってカリキュラムを入れたいと妄想を膨らましていました。
まだまだ20世紀後半は暴力に溢れ平和ではありません。
(真心ブラザーズ・拝啓、ジョンレノンより)
そして後輩たちと初めての主催ライブをやる事になりました。
言い出しっぺは僕でしたが父が新規事業をこのタイミングで立ち上げた為に、新規事業のを手伝いながらイベントの実行委員長になりました。
しかし父の事業の方が失敗してしまうとバンドすら出来なくなるという父の脅し文句から初めてのイベントの主催としては後輩に全て頼らざる終えずとても申し訳ない気持ちと自分に対して情けない気持ちがありました。
今思えばその時にはっきりと父に告げて住む場所も働く場所も自分で決めて音楽活動に集中すれば良かったのです。
ですがちょうどその頃、祖母が認知症になり急激に進行していき住んでいる地域のご家庭に迷惑をかけるような事が続き、その事も家族で乗り越えないといけないと思い、音楽活動の為に僕一人が出て行くわけにはいきませんでした。
今こうやって書きだしてみると凄く言い訳がましく見えてしまします。
東京へ旅立った友達もいました。
思えば僕も東京へ踏み出していればと思う事がこれから何度も起こるようになります。
こうして初のイベント主催を後輩に任せて感想を聞きました。
企画を考えて実際にやり出してしまえば高校の友達や先輩、後輩にチケットも売れるし実際に儲けも出たので面白いけど、
役割分担で揉めたと後輩から教えてもらいました。
一番揉めたのはブッキングとタイムスケジュールだそうです。
当時砂の数ほどいた沢山のバンドが出させてほしいと若い高校生の企画するライブに参加希望が相次ぎました。
僕の所にも相談があり、参加希望のバンドの代表を一度呼んでライブの企画の趣旨を説明しました。
そこにはまだ<凶器を楽器に持ち替えよう運動>は入れずに、
以前この楽器店のライブスペースで暴動が起こった事を反省して、ライブにおける出演者のモラルと気持ちを少しでも近づける為に、22歳以上の2年齢を超えるメンバーがいるバンドは申し訳ないけど世代間の交流の場をまた作りたいので今回は出場できませんと宣言しました。
文句もやはりありましたが暴動が起こった世代がティーンズという事もありサッカーのオリンピック代表ではありませんがオーバーエッジ枠として自分達の尊敬する先輩のバンドのみ出演してもらいライブの際のマナーを教えていただく事にします。
と唯一一番年上らしいことをしたのはこの時くらいじゃないでしょうか。
後輩たちが頑張って作り上げてくれたライブは大成功に終わりました。
皆で利益が少し出たので企画者10人程で吉野屋で特盛の牛丼を食べたのは今でも忘れられません。
次回はバンドでプロになる!!をテーマに書いていきます!!